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vol.4 橘田優子(衣装)×青柳いづみ(出演)× 藤田貴大 – 前編 –
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『Light house』関係者鼎談
『Light house』関係者鼎談
聞き手・構成: 橋本倫史


小金沢健人(環境演出)×東岳志(サウンドスケープ・音響)×藤田貴大

『Light house』関係者鼎談 vol.4 – 前編 –
聞き手・構成: 橋本倫史

橘田優子(衣装)×青柳いづみ(出演)× 藤田貴大

──今回、衣装を担当されているのは「kitta」の橘田優子さんです。マームとジプシーの作品に参加されるのは今回の『Light house』が初めてですが、そもそもの出会いはいつだったんですか?

藤田 いや、ほんとに今回ですね。橘田さんとは、直接会うまえに勝手に出会っていて、馬の写真集を買ったんですよ。

青柳 シャルロット・デュマのやつ(Charlotte Dumas『Stay』赤々舎、2016)。

藤田 その写真集について青柳と話してるとき、「これ、銀座で展示してたよ」って言われて。そのとき空間を作ってたのが橘田さんだって聞いて、ネットで検索したらめちゃくちゃ素晴らしくて。

橘田 それ、知らなかった。

──その展示は、青柳さんの中ではどんなところが印象に残っていたんですか?

青柳 馬が好きで、与那国島にずっと行きたいなと思ってたのもあるんですけど、展示の中の映像に、橘田さんが作った馬の服を着てるこどもが出てきて、あれがなんだか忘れられなくて。それで今回の『Light house』の話になったとき、藍が揺れているあの空間がパッと浮かんできたんです。

藤田 そうそう。青柳が唐突に「藍がいいと思う」ってしゃべりだして。今回、僕の中では色とか音楽とかのことはあんまり決めずに、言葉のほうに集中したいなと思ってたんだけど、唐突に青柳がそのことを言い出して、どんどん画像を検索して見せてきたんですよね。

青柳 普段、「衣装は誰がいい」とかいう立場じゃないから、藤田君はちょっと怒り気味だったけど。しかも、まだ出会ってもない人のことを、こんな強烈に推すことは初めてだったから。

藤田 これは橘田さんの前で言う話じゃない気もするけど、僕ってこれまで、すでに出会ってる人としかやったことなかったんです。だから、「なんでそんな推すの?」ってちょっと喧嘩した末に、青柳がポチってた写真集が事務所に届いて、「めっちゃ素晴らしいじゃん」ってなったんです。

青柳 それで、たぶんあっこさん(前回の鼎談に登場した植田亜希子さん)とお知り合いだろうなと思ったんですけど、「橘田さんと会いたい」っていきなりラブレターを送るのも恥ずかしいから、藍をやってる人と出会いたいって話して。そうしたら最初に「橘田さんがいいんじゃないか」って紹介してもらって。

橘田 あっこは近所に住んでるママ友みたいな存在で、あっこから「マームとジプシーっていうお芝居やってる人たちが、次の芝居のために草木染めをやってる人を探してるっぽいんだけど」って言われて、会うことになったんだよね。

藤田 僕らの中では「橘田さんとやりたい」ってほとんど決まってたんだけど、いろんなフィールドでお仕事をされてる人なのに、ピンポイントで「衣装をお願いしたい」って頼みに行くのも違うよね、っていうのがマームのセオリーとしてあるんです。それよりはまず青柳がリサーチに行って、「北部を観てまわりたい」っていう体で過ごすほうがいいんじゃないかって。

kitta 工房の様子

水を媒介にして繋がってゆく

橘田 私はわりと人見知りだから、基本的に工房の見学って断るんだけど、マームとジプシーってどんな人たちだろうって興味があったんですよね。しかも、フィールドワークみたいにリサーチしてるっていうから、自分の知ってることが種になるんだったらと思って、いづみちゃんと会ったんです。そうしたら感覚的な言語を共有できる感じを勝手に抱いて、堅苦しい話っていうよりも――。

青柳 いろんなことをしゃべってくれました。そのときはまだ、水にまつわる話を作りたいんだってことしか決まってなくて、水っていう大きなテーマを橘田さんに投げかけたら、いろんなものが返ってきて。

橘田 沖縄に行ってから、水っていうのは私にとってずっとキーとしてあって。水に引っ張られてる数年間だったから、「水の話を聞きにくる人がいるんだ、嬉しい、話したい」ってなって、七滝(沖縄本島北部、大宜味村喜如嘉にある七滝)の話とかもして。

青柳 そうそう。そのとき初めて橘田さんから七滝の話を聞いて、ああ、滝ね、ってなったんです。

橘田 やんばるに行って、自分が一番インスピレーションを受ける場所が滝だったんだよね。ワイルドな滝がいっぱいあって、人間と自然の境界の向こう側まで寄れる場所みたいな感覚があって、よく滝に通っていたんです。

──「水がずっとキーとしてあった」というのは、どんなきっかけがあったんでしょう?

橘田 わたしたち、震災で千葉から沖縄に引っ越したんですよ。原発のことがあって、水にフォーカスしてる時期に、徐々にそれが自分の中で変化してきて、「ああ、沖縄も福島も、どこの水も、隔てられることなんてないんだ」と思えた時期があったんです。全部が流動してて、ひとつに繋がってて、流れてるんだ、って。そのときに、初めて自分のこととして受け入れることができたんですよね。隣の人の中にも水があって、わたしたちはコミュニケーションしながら水を振動させあって共鳴してるんだ、って。沖縄のやんばるで水に触れているうちに、そう感じるようになって――そういう、わりと支離滅裂な話を、いづみちゃんに初めて会ったときにもしたと思う。

藤田 そうそう。僕はその話を沖縄から帰ってきた青柳から聞いたんだけど、話が断片的で、全然わからなくて(笑)。でも、橘田さんが物をつくれる人であるっていうのはもちろんなんですけど、そうやって投げかけたときに言葉としての返答がかなりある人だってことはわかって、話してみたいと思ったんです。琉球藍を扱うってことは、栽培するにしても染色するにしても水との付き合いはあるんだろうなと思ったし、オーガニックなものを扱うってことは──これは別に、オーガニックは素晴らしいみたいな話じゃなくて──自然界にある時間や空間を扱って表現されているわけだから、そこにも水って共通項はあるんじゃないかって期待があったんです。

橘田 植物染色って、水を媒介して色素を抽出する作業だからね。

藤田 それで僕も、去年の11月にやんばるに向かって、牧場で橘田さんに会ったんです。そのあと工房も見せてもらったり、橘田さんの藍畑に行ったりしたんだけど、そのとき橘田さんが運転する車の助手席に乗って、ずっとしゃべってたんですよね。それも、作品には直接関係ないことをずっと話してた気がする。

橘田 うん、しゃべってた。たぶん、他の人が聞いたら「よくわかんない」って言われるようなことを話してた気がする。

藤田 滝に行ったときも、滝が綺麗だってことで感動するっていうよりも、「人っていうのもほとんど水分だよね」とか、「人が動くためには水が必要なんだよね」とかってことを話してたんです。

水の話と時間の話

藤田 あと、橘田さんはどこで育ったのって聞いたら、海沿いで生まれ育ってるって話になって。

橘田 ああ、話したね。「海に呪われてる」って藤田くんに言われた気がする(笑)

藤田 出会った直後にプロフィールをがつがつ聞いてたら、橘田さんは海沿いにしか住んでなくて。生まれたときから、ずっと水にまつわるところばかりをまわってたわけですもんね?

橘田 そうそう。生まれたのは明石で、家の前がもう海だから、海は原風景としてずっと見てる。

藤田 僕も海沿いの町に生まれ育ったんだけど、そこは湾になってるから、浜に死体があがったり、クジラがあがったり、そういうことがよくある町で。

青柳 明石の海はどんな海?

橘田 明石の海は波がなくて、鏡面みたいな感じで。うちの実家は旅館だったから、200度ぐらい見渡せるの。朝日も夕日も見えて、歩いて1分で砂浜みたいな環境なんだけど、鏡面みたいになってると、境目がない状態によくなるんだよね。それを毎日見て、海って子宮なんだと思ってた。

藤田 そういう話をしているあいだも、車でずっと海沿いを走ってましたよね。あのとき、何時間も橘田さんと話してた気がする。「演劇って何なんだろう?」って話もして。衣装についても、「初日から楽日まで、色が褪せたりして変わっていってもいいんじゃないか」みたいなこととか、話してた気がします。

橘田 植物染色をやっていると、変わらないっていうことに違和感があって。ただ、私の中にベクトルがふたつあって。服を作って販売するっていうのもkittaの仕事としてあって、そのときに目指すのは「落ちにくい」ってことで。前提として少しずつ色褪せていくっていうのはあるんだけど、なるべく落ちにくくして、色褪せるのに時間がかかるようにしたい、と。

藤田 橘田さんの話を聞いてても、時間がテーマになるような感じがしたんですよね。工房に行って藍染の話を聞いてるときも、「この濃さを出したいなら、何週間」とか、「もうちょっと薄いなら何週間」とか、時間にまつわる仕事をしてる人だなと思ったんですよね。だから、「こういうビジュアルの衣装が欲しいんです」って話をしたっていうより、橘田さんの仕事や言葉の中に転がっている時間感覚みたいなものが、『Light house』に影響があったなと思うんです。

工房の様子

藍畑の持ち主だったおばあさん

藤田 それで──橘田さんの藍畑には、もともとの持ち主がいたんですよね?

橘田 うん、いました。私には染色の先生がいて、その人に「沖縄に引っ越しました」って話をしたら、「藍の畑をやって、染料を作ってる人がいるから」って言われて。それで会いに行ったら「もうやめる」って言われたので、教えてくださいって頼み込んで。結局そこから一緒にやらせて頂いています。

藤田 そこを見学させてもらったときに、大きな甕があって。

橘田 あれは甕っていうより、プールみたいなすり鉢状の藍壺で。沖縄の藍の製法って、インドの作り方と同じなんです。藍の成分は水溶性なので、プールに葉っぱを漬け込んで溶け出させて、葉っぱのかすは取り除いて、藍の成分だけを空気酸化と石灰で固体化させていくんです。

藤田 そうやって話を聞かせてもらってたら、藍畑のもともとの持ち主だったおばあさんが、杖をつきながらやってきて。あれも不思議な感じでしたよね。

橘田 あれ、珍しいんだよ?

藤田 しばらく立ち止まって、なんともない話をして。橘田さんが「上のカー(井戸)を見せてもらえないかな~」とかって粘るんだけど、「あそこは掃除してないからねえ」って、頑なに見せてくれなくて。僕らとしては何か聞き出したいんだけど、話してくれない感じが面白くて。

青柳 でも、そこにいるんだよね。

藤田 そのときに、今回は(召田)実子にオファーしようかなって思い始めたんだけど。なんか、そのおばあさんの後ろ姿が実子と似てたんだよね。

橘田 今思うと、超似てるもんね。

藤田 90歳近いおばあさんなんだけど、背筋は全然伸びてて。ああいう姿を見れたのもよかったんだよね。

橘田 おばあに話を聞いてたら、こっち側の山に御嶽があるって話が出てきて。「戦争のとき、そこに皆で逃げたりしてたんでしょう」って聞いてたら、「ああ、そう」って教えてくれて。でも、その話がどうもおかしいなと思ったら、北山時代とかの話で(笑)

藤田 そう、第二次世界大戦じゃない戦争の話だったんだよね。それもよかったなと思うんです。それまではずっと南部を巡っていて、戦争といったら第二次世界大戦のときの地上戦だったんだけど、その感覚も違ってくるんだと思えた瞬間だった。

人工的なものと自然なもの

──今回の衣装について、具体的にはどんなふうにアプローチしていったんでしょう?

藤田 最初にZoomでミーティングしたときに、「色のイメージはありますか?」って聞かれたんだけど、ほんとに色のイメージがなくて。色というよりは、風とか水とか、目には見えないものや手に触れられないものをやりたいってことを話した気がします。橘田さんの工房で色を説明してもらったときも、「これが赤で」みたいな話じゃなくて、「これはどういう植物からとれる」とか、「これは虫からとれる」とか、そういう話だったんですよね。

橘田 それは今回、いづみちゃんが着てるやつ。

青柳 ちょっとピンクみたいな色のね。

橘田 そ。あれはコチニールって虫をそのまま煮出してる。

青柳 生きたまま?

橘田 乾燥させた虫を煮出してる。

藤田 今みたいな話を聞いてると、「ああ、そうだよね」って思うんですよね。色って最初っからこの色だったわけじゃなくて、その前の生命があって、それを時間と共に溶け出させて、さらに布っていう“人工的”なものに移し込んだときに初めて色が出る──その「色が出る」って工程が面白くて。

橘田 自分が“自然”って呼んでるものって、イコール時間なのかなって、最近はそういう気がしてる。見えているもののほとんどに時間が影響していて、その時間ってものの中には風向きがあったり、日光があったり──そういうことなのかなって、最近ちょうど思っていたところで。

藤田 うちの母親が口癖のように言っていたのは──たぶんそれはモネか誰かの言葉なんだと思うんだけど──「あかりがなかったら、色はなかった」っていうことで。この地球が真っ暗だったら、色ってものはなかったはずで。まずひかりがないと、目は色を感知できないですよね。その認識レベルにも、やっぱり時間が伴っていて。地球がずっと真っ暗闇だったら、そこに色はなかったんだけど、朝がくるから人は色っていう認識を持てる。そこにはひかりが伴っているんですよね。それで──工房で橘田さんに色のことを聞かせてもらって、たとえば「これはフクギっていう樹からとっている色で」とかっていう話を聞いていると、その色は黄色と言えば黄色なんだけど、一言で「黄色ですね」とは言えないというか、まだ名前がない感じがしたんですよね。

橘田 kittaを初めたときのコンセプトにも、そういうことが含まれていて。たとえば色鉛筆だと、「青色」とか「群青」とかってなってるけど、そのあいだの色が数限りなくあって。自分は色を扱っているけど、世界に対する解像度をあげていくっていうことを、色を通して表現したいんだなって思うようになったんですよね。

藤田 僕はシンプルに「グラデーション」とか言っちゃうけど、それが無限にあるはずですよね。

橘田 そう、そう。そこにはきっと、「わー!」ってなるぐらいの数の色があるんだよ、きっと。

kitta 工房の様子

てんとてんが繋がっていく

藤田 kittaの印って、星座の形になってるんですよね。あれはどういう話だったんでしたっけ?

橘田 あれは星座みたいなものをモチーフにしていて──だから、今回の作品が『Light house』だって聞いたとき、ちょっと驚いたんだよね。それも私、いづみちゃんに話したような気がする。

青柳 最初に会ったとき?

橘田 そう、そのとき話したような気がする。私がやんばるに住み初めた頃に、高江でオスプレイのヘリパッドの建設が始まって、座り込みに行ったりしてたの。近所に友達が住んでて、座り込みに人は多い方がいいよね、みたいな感じがあって、私も参加してた。もちろんヘリパッドができることは嫌だったし。でも、あるとき、「これって本当に自分が納得してやってることなんだろうか?」って思い始めたんです。その頃に、学生運動で火炎瓶を投げてたような年上の友達がいて、そのおじさんが座り込みにきたときに「こういう葛藤がある」って話をしたら、「自分のやりたい形でやればいいんじゃない?」って話をしてくれて。「僕は今までこのやりかたでやってきて、現場に行くと友達もいるし、わりと楽しみもあるんだよ」って。「そのやりかたは、僕らがやるからいいよ」って、友達として言ってくれたんです。ちょうどそういう時期に、宮沢賢治の「インドラの網」のことを思い出して。

──「インドラの網」?

橘田 インドラっていうのは帝釈天のことで、インドラの宮殿には宝珠が数限りなく飾られてて、それが網目のようになっているんです。その宝珠っていうのは、もう、存在なんだよ。存在同士が繋がって、緻密な網目を描いている。そこで自分が放ったひかりがいろんな人に届いて、向こう側のひかりもこっちに反射して繋がっていくことで、世界が明るくなっていく。だから私も、現場に座るっていうよりも、「私のビジョンはこれだ」っていうことをやっていけばいいんだって思えたんですよね。それでkittaのボタンには、「それぞれの存在同士が繋がり合うことで、今までなかった形が無限に生まれていく」っていう思いを込めて、星座をモチーフにした印をつけてます。

藤田 『Light house』には、エリーが演じる“つき”ってキャラクターがいて。“つき”って名前が面白いなと思ったのは、月って自分自身では輝けない星なんだけど、ひかりが当てられたときに反射して、地球を照らすことができる。プロットの段階では、そのことについて“つき”が語るシーンもあったんです。そこで「輝けない私」みたいな話になるのは嫌だから、今の台本ではフィーチャーしてないんだけど、“いっぺい”の台詞にもあるように、「月って結局、片面しか見えてないよね」ってことは感じていて。地球上からは光ってる部分を見るしかないんだけど、月は地球を照らしてはいるよね、っていう。そのイメージって──沖縄のやんばるに行ったとき、星の見え方が違ったんです。北海道もめちゃくちゃ星が見えるんだけど、北海道の奥行きとは違う見え方をしたんですよね。そういう話を脚本に落とし込んで、役者がいきなり星の話とか始めちゃうとしゃらくさい感じになりかねないんだけど、今回は意外と、キャリアの中で一番派手な台詞を書いたなと思っていて。

──たしかに、抽象度の高い台詞はいくつか出てきますね。

藤田 こういう森羅万象というか、自然界の事象を捉えたような言葉に対して、演出もその言葉が持つ温度とまったく比例してしまったような熱量を発揮させてしまうと、観客も「お、おう」って引いちゃうと思うんだけど。今回はそういう話をどうにか俳優に語ってもらいたくなったんですよね。地球から見える星までの時間とか、何光年先の時間とか。このひかりは、今放たれているひかりではないんだろうな、とか。色の話にしても、この色が何物なのかって、普段は考えないじゃないですか。「まあ……インクとか?」ぐらいの感じで済ませちゃってると思うんです。人はそうやって、「そこに辿り着かなくていい」ってことで線を引いて生きてるところがあると思うんだけど、やんばるで過ごしているとその線引きがなくて、「ああ、この色って虫からとってるんだ」とか、「虫は虫でも、乾燥させた虫からとるんだ?」とか、あらためて知るところが多くて。東京で過ごしていると、「まあ、きっと、こういうことだろうね」ってことで済ませちゃうんだけど、そこより先を知りたくなるというか。

橘田 私もそういうことばっかり考えていて。たとえば色には時間ってレイヤーがあるんだけど、それを辿っていくと「どうして地球に水があるんだろう?」って話にも行き着く。さらにまた別の視点から考えると、たとえば虫は人間には見えていない色を見ているんだと思うと、存在の数だけ世界の見え方があるってことにもなってくる。

藤田 今の話を聞いていると、馬の目のことが思い出されて。ここ数年、穂村(弘)さんともよく話してるんだけど、目の迫力ってあるよなと思うんです。なんで人は肉を食べられるんだって考えていくと、「人間の目から離れていく」って観点に辿り着いて。猫とか犬の目って、人間に近いと思うんですよね。だから、想像はしてみたことあるけど、やっぱりぼくは食べることはできないとおもう。でも目が人間から離れていくと、食べることができる気がしてくる。肉は食べられないけど、魚は食べられるって人もいるだろうし、魚も食べられないって人でも虫は食べられるかもしれなくて。 そうやって目について考えていくと──僕は登下校中に毎日馬を見てたんだけど、馬ってたまに泣くんですよね。目が血走ってるときもあるんだけど、すごい純粋な目をしているときもあるし、涙が出ているときもある。それを見たときに、なんかちょっとやられるんです。馬の目って、牛とか豚の目ともまた違うんだよね。

写真:岡本尚文

後編へ続く──

橘田優子(きった・ゆうこ)

kitta主宰。1998年に植物染色を始め、現在は沖縄県北部にてスタッフ数名と共に染料の栽培や採取、薪の火や発酵などによる染色、デザイン、縫製まで物が生まれてから土に還るまでを分断のない一つの流れとして捉え、自然と人間を媒介するというコンセプトを軸に衣服や空間作品まで幅広く制作を行なっている。https://kittaofficial.com

青柳いづみ(あおやぎ・いづみ)

舞台女優。マームとジプシー、チェルフィッチュ両劇団を平行し国内外で活動。また演出家・飴屋法水や彫刻家・金氏徹平との活動、音楽家・青葉市子とのユニット、近年は文筆活動も行う。漫画家・今日マチ子との共著『いづみさん』(筑摩書房)、朗読で参加している詩人・最果タヒの詩のレコード『こちら99等星』(リトルモア)が現在発売中。