Dialogue1
「沖縄での営みをめぐる」
対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.6
根本きこ(波羅蜜店主、料理人)×藤田貴大
藤田 お会いできて嬉しいです。ここ数日間はずっと、きこさんの本(『根本きこの 島ぐらし島りょうり』)を繰り返し読んでいたので。その本にも書かれてあることなのですが、沖縄にて「波羅蜜(パラミツ)」という場をつくるに至るまでのことを、あらためて聞いてみたくて。「波羅蜜(パラミツ)」がオープンしたのは──
根本 今営業して4年で、建物が出来るまでになんやかんや2年なので、取り組み始めてからは6年とか5年半ぐらいとかそんな感じです。
藤田 ここに辿りつくまでは、どこに──
根本 高江っていう東村の山の中、水も通ってないようなジャングルに5年間いました。神奈川から沖縄へポンって移住してきたんだけど、すぐに高江の森の中に収まっちゃって。
藤田 その、沖縄に移住して最初の時も家を建てた?
根本 その時はご縁で古民家に住んでました。その古民家を管理していた方が私のヨガの先生で、70才ぐらいの方なんだけど、先生が3歳から3年ぐらい住んでいた家でした。先生にとってとっても想い出深い家だったみたい。その時は先生がヨガのワークショップの時くらいしか使ってないから住んでいいよって言ってくださって。それでそこに家族で住ませてもらってました。
藤田 そうか、それが2011年から数年間のことなんですよね。
根本 3年間、先生のお家に住んで、その後2年間は自分たちで建てた家に住んでました。その後、ここに至るっていう。
藤田 あ、じゃあ今のひとつ前の家を建てたということですね。それが大変だった、と。
根本 大変だった!家の前に川があったんですよ。だから材木を運ぶのに川を渡らないといけなかった。それが大変だったよ。普段は足首ぐらいの深さで、おとなしい川なんだけど、台風や洪水になっちゃうとダムの水を放水するから一気に水深が上がるんです。そうすると今度は家から全く出られなくなるの。そうなると、しばらくは宅急便が来ても川向うで「すいませ~ん」って呼ばれたりして。
藤田 でも、それってもともと持ち合わせている能力とか意識が高いからできることですよね……壮絶すぎる。水とかになると、僕だったら1日目で挫けます。
根本 高江での生活はあえて不自由を享受するっていう。これは何でもインターネットで揃う現在ではある意味贅沢なことでもあると思う。それをやりたかったの、ずーっと。米を作ったり、畑をやってみたり、園芸してみたりもそうだけど、ずっといろいろやってみたかった。でもジャングルみたいなところに移住するとか、極端なことがない限りやっぱりできないじゃないですか。だからいいきっかけだなって思って。
藤田 “今だからこそ、不自由の中に楽しいことがある”というのは、キーワードだなあと思うんですよね。僕も作品を作るときに「なんでもある」という状況よりも「これしかない」とか、「この条件で」っていう方が楽しいんですよ。「何でもやっていいよ」と言われるほうが窮屈な気がして。無限じゃなくて、ある種の有限性があるからこそ、その中で遊ぶことができる感覚。
根本 例えば沖縄って野菜一つとっても他の地域と全然違う。最初の何年かは意識的に沖縄の野菜を使ってみようってした時に、いちいち大根の味が違うって比べちゃったりするんですね。でもこの大根だから何ができるんだろうとか、そういうふうに向き合って料理をしていくと、すごく自分が土地に馴染んでる感がしてくる。沖縄に来て最初は、水が全くガラッと変わっちゃったから、家族がみんな病気になっちゃって、寝込んじゃった。
藤田 本の中にスッと書かれてあった「蛇口から出てくる山の水の水温だけは、ひっそりとほのかに温かみを宿します。」という、あの一文がとても美しいと思いました。そのことで春の始まりと感じる、という。
根本 高江のジャングルに住んでいた時は、川からダイレクトに家まで水を引いて、飲み水に関してはもうちょっとクォリティをあげて5分か10分ぐらい歩いたところにあるチョロチョロって出てる滝から汲んでいたんです。そうしたら、季節ごとに水が全然違って。今までは水ってものは蛇口をひねれば出てくるものだったけど、そこでの暮らしをしてからは、今でも大雨が降っている時に水道で水を出して洗い物してる時に、その大雨の水と自分の洗い物の水がリンクしてくる感覚がすごいある。もちろん水年齢は違うんだけど、すごくダイレクトにそれが伝わってきて、一気に気持ちがあったかくなったって言うか……。
藤田 その水とこの水が繋がる瞬間なんですね。水自体の出自は違うようだけれど、身体感覚として──
根本 そう。そうするとすごい自分が透明になったみたいで。それが森で暮らしてよかったって思う点です。
藤田 野菜一つとってもいつも全然違うということを、まずはその野菜を目の前にして、「ああ、今日のは今日ので違うなあ」と受け容れていく時間があるわけですよね。それを、どうやって捌いていくんですか? すなわち、それが“料理”ということなんだろうけど。
沖縄に足を運んだとき、外食するだけじゃなくて、意識的にスーパーとか道の駅にも行くようにしてて。例えば、東京じゃ見ないような、とても大きい冬瓜とかもあるじゃないですか。自分の経験に基づいて、それを捌いていくのか。もっと直感で合わせていくのか──
根本 例えば大根の違いって言ったけど、自分にはすでに大根の「おいしさ」っていう固定観念がしっかり根付いちゃっているから。まずはそれを崩していくっていう作業ですね。おいしいおいしくないの話じゃなくなるっていうか、そういうのが沖縄の場合はすごいあって。もっと言うと体に入った時に違和感があるかないかみたいな、そういう感覚になってくる。おいしいとかとは、なんか違くなっちゃって。
藤田 なるほど……おいしいとかおいしくないとかそういうことじゃなくて、体の中にあるかないか。
根本 いいのか悪いのかわからないけど、それが沖縄に移住してきてからの一番の違いかな。ほんとに全然違うんですね。人参って言ってるけど人参ではないっていうことがある。でもそれは、人参の世界がとても、とても広かったっていう感じ。広いし深いし。
藤田 きこさんの文章を読んでいると、とにかくハッとすることが多くて。どうして、料理や味のことをこんなふうに書けるんだろう、って。レシピ本(『カレー、ときどき水餃子』)にしても、ただのレシピ本じゃなくて。例えば揃えた食材で普通にその手順で作ったとしたら、ただの中華料理になりそうにも読めてしまうんだけど、そこにきこさんの言葉が重なったら、出来上がったそれは書かれてあるレシピ以上の何かになる感じがするんですよ。抽象的な力がそこには働いている気がして。ああいう言葉って、なかなか書けないというか。実際に、手つきとか指先のレベルで知っていることがないと。
根本 私自身が同じ料理を2度と作れないんですね。本当に。若い頃、それこそ料理の仕事を始めたくらいの頃はそれがめっちゃコンプレックスで。でもレシピを出せるようになったのは、ひとえに担当編集者さんのおかげ。私の作っている横で、料理の手順を全部メモをしたから、できたもの。でも本当にそれも一期一会で、もう一度は作れないのね。
藤田 ほんとに奇跡のレシピ本じゃないですか(笑)。
根本 作っている最中って、どんどんこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかって。
藤田 そうなっていっちゃうんだね。再現なんてできない芸術ですね。
根本 だから、飲食店のバイトとか本当にできなくて。うずうずしちゃうの。こうしてみたら、っていう気持ちになっちゃうから。それがずっとすごい悩みだったんだけど、でも今こうやってみなさんに料理を出せる波羅蜜をやっていて。波羅蜜は毎日違う料理なんだけど、それしかできないからそうしているのね。それでも喜んでくださるお客さんがいるから本当によかった。
藤田 本当にすばらしいことですね。
根本 他人の自由を信頼してくれるお客さんがいる。
藤田 いやいや、他人の自由だなんて。きこさんたちの営みに僕らはただただリスペクトしているだけですよ。
根本 カレーを食べたくて来たのにさ、揚出し豆腐だったりするんだよ。ありがとうしかない。本当に感謝してる。
藤田 (笑)。いまの波羅蜜がある建物は、もともとは──
根本 木工所。
藤田 あ、木工所が空いていた?
根本 そう。空いていて、私物がいっぱい入ってて。だけど私達が見たときは「空き」「貸し売り」みたいな紙がバーっとあって。気になってね。中を見せてもらって決めた。
藤田 波羅蜜が、葉山にあったカフェ「coya(コヤ)」(根本さんが逗子で営んでいたカフェ、2011年に閉店。)以降のきこさんたちの久々の営みなんですよね。どうして改めて、お店を始めようと思ったんですか?
根本 5年、ジャングルで暮らして、うちの相方(波羅蜜店主・西郡潤士さん)がやっぱり店がやりたいってなったの。何をやりたいとか、あれをやりたいとか言う人じゃないし、coyaも言い出しっぺは私。彼がカフェをもう1回やりたい、人が集まれる場所を作りたいって。今、森の中で暮らしていて楽しいんだけど、でもじゃあどうするの?っていうのはあったんだと思う。私はそのまま森の中にいても全然よくって。本当になにも考えてないといえば考えてないから。だけど彼はジャングルだけじゃないって思ったんだろうね。
藤田 西郡さんは、ジャングルにいる時に開墾もして、米も作って。彼の、その5年間というのも、すさまじいですよね。
根本 いやー辛かったと思う。このままでいいのかってというのがあったと思うよね、ずーっとね。
藤田 西郡さんが、やっぱりカフェがしたいというふうになったのも分かる気がするなあ。僕も、あの頃からcoyaの存在は知ってて。当時、とても盛り上がっていたと思うのだけど、それを2011年の3月11日、数時間で手放すって決めたというのも今思えば、ここに至るまでのポイントだったのかもしれないですね。でも、トラウマにだってなり得るじゃないですか。一度畳んだ意識を、また再開するというのはとても大変なことだと思うんですよ。そこから時間をかけてやっぱり「場所」を持つということに決めたのはものすごいことだなあって想像します。僕なんかは断片的にしか知ることができないし、はかり知れません。
根本 私はほら、今西洋占星術にめちゃくちゃハマってるから、その系統でいっちゃうと、冥王星って星があって、一番遠い星なんだけど、実は一番影響力があるのね。無意識に働きかけるっていう意味ではすごい影響力がある。冥王星っていうのは破壊と再生なんですよ。わたし冥王星がすごく強くて、1回全部壊さないとエネルギーが入ってこないっていう、冥王星がね、そう働きかけちゃうの。今思うとね。だから冥王星の力が働いてああいう極端な場面になったと思う。1回全部チャラにして、全て0から始めようっていうとこにしか、やっていきたいことを見いだせないから。相方にはそれに付き合ってもらっちゃって、相方は相方で楽しかったけど苦労もして、でもそのおかげで、ようやく俺やっぱりやりたいって言うまで5年あったという感じ。
藤田 たまに登場するんですよね、きこさんの本の中に西郡さんが。家を建てている最中にうなだれている姿を見たときの様子とか。笑っちゃいけないんだけど、面白く読んでしまいました。常に、なにかを作ることに苦労してる背中が描かれているけど、あの人物がやっぱりお店をつくると決めたことに目頭が熱くなってしまいます。
根本 お互いに相方と話すのは、大変だったけどやっていけば必ず終わる、っていうのがわかったっていうか。
藤田 なんでもね。
根本 ブロックを積むのもこれ全部やるのかって途方にくれるけど、何にも考えないでやればいつかは終わる。そこに変な感情とか入れちゃうからワーッとなるだけで、やれば終わるってことがわかった。やれるんだからやろうって、感情との折り合いの付け方。
藤田 波羅蜜ができてまたカフェの営みが始まったわけだけど、それは完全に葉山の時とは違うムードだったんだと思うんですよ。もちろん違うのが前提で始まったのかもしれないんだけど、その違いはどういうところにありますか?
根本 もう毎日楽しいよ。毎日お店終わったあと今日も一日楽しかったって思えるよ。身の丈がわかった、5年で。自分は何ができるのかって、体力面とか技術面もわかったからそれをやってる。
藤田 西郡さんが『カレー、ときどき水餃子』のあとがきに書いている「森での生活は、自分にとって、一度手放したからこその、思いへの再確認の場ともなった。」という言葉に唸ったんですよね。葉山での営みをしていたころのイメージを、外側へ向けてもそうだけど、自分たちとの向き合いかたも一度ゼロにしてスタートできたんですね。
根本 そうですね。沖縄に移住して最初に住んだのは本当に小さい家だったから、家具とか入らなかったのでダンボールがタンスとか。わざとそれを課していた部分もあるんだけど。でも自分たちで家を作った時にようやく愛着がある家具を置くようにしたの。それを見た友達は「きこちゃんってこういうセンスだったんだ」って。そこで初めて自分の好きなものをおいたから、3年間の古民家暮らしっていうのは本当に自分を捨ててたと思う。
藤田 本当にゼロにしたんですね。すごい。
根本 やってみたかったんです。
藤田 別にね、誰かにどう見られるかっていうのはね。
根本 関係ない、本当に。それでもお客さんはお店に来てくださるから、感謝で。ありがとうってなっちゃう。ハイタッチしたくなっちゃう。
根本きこ(ねもときこ)
料理人、フードコーディネーター。夫で店主の西郡潤士さんと波羅蜜を営む。神奈川県逗子でカフェ「coya」を営み、2011年の東日本大震災を機に沖縄県のやんばるへ移り住む。大自然の中で自給自足の暮らしを経て、2017年に今帰仁村にカフェ波羅蜜をオープン。
PĀRAMITĀ・波羅蜜
沖縄県今帰仁村仲宗根278-3
090-8511-0607