Interview

vol.3<small>2021年11月13日更新</small>
藤田貴大インタビュー

Interview

「沖縄を描くこと」
聞き手・構成:橋本倫史(全6回)

藤田貴大インタビュー
聞き手・構成: 橋本倫史


「沖縄を描くこと」

『沖縄を描くこと』 vol.3
聞き手・構成: 橋本倫史

2021年11月13日更新

沖縄から得たモチーフで新作『Light house』を描くことを通して、演劇作家・藤田貴大が感じたことを聞くインタビューシリーズ。まずは、本作を描くにいたるまでの、沖縄との出会いや『cocoon』(2013年初演/今日マチ子原作)を通じて起こった出来事などを振り返って話してもらいました。

(全6回を予定 /9月8日収録)


──2012年から沖縄に足を運んできた藤田さんが、沖縄をモチーフに『Light house』という作品を上演することになりました。まずは今回の企画が立ち上がった経緯から伺えますか?

宣伝美術:川名潤 宣伝写真:岡本尚文

藤田 僕が沖縄と出会ったきっかけは『cocoon』だったから、たとえ泳ぎたくなるような綺麗な海を見たとしても、どうしても『cocoon』で描かれているようなごつごつした海岸やガマのイメージに繋がってしまうんです。ただ一方で、これまで沖縄戦のことばかりに目を向けてきてしまったという自覚もあって。何かに焦点を当てすぎると見えなくなってしまう部分も生まれてくるというか。沖縄へ何度も足を運んでいると、戦争の名残りが今も在る部分もあれば、戦後から現在までにいろんな営みが変容してきた様子がもちろん見えてくるわけです。めまぐるしいスピードにふるい落とされたものもあるし、たくさんの独特な時間が重なって現在の沖縄の姿がある。だから、今回なはーとからお話をいただいたとき、ようやく『cocoon』とは別の、新しい沖縄との作業ができるんだなと思って嬉しかったですね。

──沖縄を訪れるたびに戦跡を巡ってきましたけど、そうすると戦跡に限らず、いろんな風景を目にするわけですよね。

藤田 戦跡を巡ったあとにコーラを飲んだり、ステーキを紹介されて食べたら今までで一番美味しいと感じたり――沖縄戦を描こうとして沖縄へ行っていても、今の沖縄じゃなきゃありえないものに自然と触れていたことに気がついたんですよね。そういう目にするもの耳にするもの全部を振り切って「『cocoon』を描くんだ」って意固地になっていたわけではなくて。むしろ『cocoon』を準備していくというのは、同時に今の沖縄と向き合うってことでもあるし。来年の『cocoon』※はさらにそういう今という時間を意識したものになると思います。
※2020年に再演予定だったが、新型コロナウイルスの影響で2022年に延期となった。

──藤田さんの作品は、普段はテキストがまったくないところから稽古が始まることも多いですが、今回はすでにかなりプロットを書かれていると伺いました。

藤田 そうですね。今回はまず、僕が沖縄に滞在したときに行ったことあるところを思い出して、ノートに記してみるところから始めたんです。行ったところというよりも、もっと些細な。立ち止まったことのある場所を探すみたいにして。空港に降り立ったとき、まずクレーンゲームをするよなとか、あの居酒屋ってどこだったっけ?とか。あそこで飲んだコーヒーが美味しかったとか──この10年近くで出会った人や場所をノートに書き出して、こことここに行くんだったらこういうモノローグができるかもしれないし、「あのとき、こういうダイアローグがあったよね」ってことを、記憶をもとにプロットを書くのが最初の作業でした。

──『Light house』というタイトルの由来を教えてください。

藤田 『cocoon』とは違う軸を描くとはいえ、前回話したように荒崎海岸と喜屋武岬は特別な場所ではあるんだけど、「そういえば喜屋武岬には灯台があったよな」ってことを思い出したんです。その灯台って場所が、僕の中では劇場とちょっとリンクしたんですよね。

──というと?

藤田 最初は「沖縄に頻繁に足を運んで作業してほしい」と言われていたんだけど、早速コロナ禍になってあまり気軽に移動できる状況ではなくなったんですよね。でも、作業は止めるわけにはいかないから、Zoomで劇場の方々と繋がって、他愛のないはなしをしながらプロットを書いていったんです。そういう作業を重ねていくと、「今このタイミングで沖縄に劇場が建つって、どういうことなんだろう?」と思い始めたというか。現在、沖縄に限らず、演劇を上演することっていろんなハードルを越えなくちゃいけないものになっているじゃないですか。予定されていた僕の作品もかなりの数が中止や延期になったけど、演劇をやるってことは人を集めるってことでもあるから、やっぱり難しいですよね。劇場を建てるってことは、わたしたちはここにいます、こういう演目を上演しますってシグナルを方々に出すことが始まるってことでもあって。それはどこかの岬に佇んでいる灯台と近いなと気づいたんです。それと、去年中止になった演目の歌人の穂村弘さんと取り組んでいる『ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜』って作品の中でも「灯台」って言葉が出てきたり。2018年に上演した『BOAT』でも「灯台守」って登場人物がいたり、灯台って場所が気になってはいたんです。ああ、それで、なぜだろう。なぜか今、久しぶりに家族というものを描きたくなっているタイミングでもあるんですよね。だから「Light」と「House」の間にスペースを置いてもいいかなって。

──コロナ禍の中で、藤田さんは京都いわきフィリピンの人たちとZoom越しにワークショップを開催されてきて、今回の『Light house』に向けて、沖縄の方たちとワークショップも行ったそうですね。遠く離れた場所にいる誰かとZoomを通じてワークショップをすることで、どんなことを感じましたか?

2021年日比協同オンラインプロジェクト「TAHANA」 マニラ編-

2021年日比協同オンラインプロジェクト「TAHANAN」 ヴィサヤ編-

2021年日比協同オンラインプロジェクト「TAHANAN」 ミンダナオ編-

2021年日比協同オンラインプロジェクト「TAHANAN」 ルソン編-

藤田 これはフィリピンに住む皆とワークショップしているときに特に思ったんですけど、そこでの日々の営みっていうのは、特別なことじゃないと思うんです。そこでただ生活しているだけだから。たとえば鶏の鳴き声がとてつもない音量で突然聴こえてきたりして、それは日本ではあんまり起こらないことかもしれないのだけど、そこで「え、鶏いるの?!」みたいにリアクションするのは変だなと思っていて。だから、どの土地の人と接するときも、「そんなこと、ある?」みたいな聞き方はしないようにしているんです。沖縄に住む皆とワークショップをしたときも、「劇場があるとして、そこに何を着て行きますか?」ってことと、「今がコロナ禍じゃなければ、食べに行きたいお店はありますか?」ってことだけを質問したんですけど、それだけでもすごく面白かったですね。

──ワークショップで聞いた話も、作品に取り込まれるんですよね。沖縄を描くときに、沖縄らしさを探し出すというのではなく、日常に近いところからアプローチするというのが印象的でした。

藤田 僕は北海道出身ですけど、Zoom越しにいきなり「アイヌの文化やそれにまつわる問題についてどう思いますか?」って聞かれても、「いや、来て学んでください」としか言えないですよね。そういう、その土地ならではの土着的なことを探るより、もっと日常に近いところを聞いたほうが、その人と話せたと思えるんです。本を読んだり、資料館などへ行って知れることは一人で勉強できることなので。でも、ただそれぞれの日常の話を聞いていても、僕の日常とはかけ離れた話が聞けるので、そこに期待しているんですよね。違うと言っても、「美味しいタピオカ屋がある」とか、「カフェでマグロの解体ショーが始まった」とか、それくらいの話なんですけど(笑)

──どこかの土地に出かけたり、その土地に暮らす誰かと話したりしても、ほとんどの人はそれをフィクションとして描くことには繋げないと思うんです。でも、藤田さんは作品として描くわけですよね。土地を描くってことは、藤田さんの中ではどういう作業なんでしょう?

藤田 僕はやっぱり劇作家の側面よりも演出家寄りなんだろうなと最近は思うんです。言葉も演出における一つのツールに過ぎないというか。だから物語が作品の一番先にはなくて。それに、物語というのは世界中のどこにだって溢れてしまっていて、それっぽい話なんていくらだってあるような気がするから、物語については意外と真新しさのようなものは諦めているし、求めないようにしているんです。物語よりも、僕の中で重要なのはシーンなんですよね。たとえば、ワークショップのときに浦添の「クイックリー」ってタピオカ屋の話をしてくれた人がいるんだけど、「車で『クイックリー』に行って、自分用にタピオカを買って、息子はちまきが好きだから、ちまきも買っていく」って話していて。沖縄でちまきって、僕は「金壺食堂」でしか食べたことなかったから、「タピオカ屋でちまきが買えるんだ?!」ってなったんですよね。僕が「クイックリー」に案内されても、タピオカが美味しい「クイックリー」だけを描いていたと思うんです。でも、その人のエピソードを聞いたからには「ちまきも美味しい」っていうところまで──たぶん僕だけだったら選ばなかったであろう選択肢まで、その人は連れて行ってくれたわけなんです。こういう体験はなににも代えがたいものだし、何かを読んだところで得ることのできない生々しい感覚なんですよね。

──自分とは違う誰かの感覚に、ワークショップを通じて触れる、と。

藤田 自分の仕事って言葉を採取していくことだとも思っているから、そういう生々しい感覚を聞けるとすごくハッピーで。あと、何より興奮するのは、そのヴィジュアルなんです。エピソードを聞いているとき、同時に僕は想像の中の「クイックリー」を車道のほうから見ているんです。誰かがそこへ車を乗り入れて、タピオカとちまきをドライブスルーで買う。そのあと、映画みたいにシーンが切り替わって、今度はタコス屋に同じアングルで誰かが車を乗り入れる──想像の中で、イメージが移行していくとそれがすごく可愛いかったり格好よく見えてくるんです。だから、ワークショップをやるときはそれぞれのエピソードの面白さや物語を引き出したいのではなくて、そういう見えてくる“シーン”を求めているんですよね。