Dialogue2

vol.3 植田亜希子×リマ冴羅×藤田貴大
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Dialogue2

『Light house』関係者鼎談
『Light house』関係者鼎談
聞き手・構成: 橋本倫史


小金沢健人(環境演出)×東岳志(サウンドスケープ・音響)×藤田貴大

『Light house』関係者鼎談 vol.3
聞き手・構成: 橋本倫史

植田亜希子×リマ冴羅×藤田貴大

藤田  あっこさんが最初に僕の芝居を観てくれたのっていつでしたっけ?

亜希子 芝居で言うと、『cocoon』だね。でも、その前に、「水円」でやったリーディングライブを観てる。

藤田  っていうことは、2015年だ。あのリーディングライブのとき、フィッシュマンズの「Walking in the Rhythm」をやったんだけど。あの曲について(原田)郁子さんと一緒に考えていた時期でもあったんですよね。それを、フィッシュマンズのマネージャーであるあっこさんに観てもらうというのは、どういうことだろうって話しをしていて。「水円」で観てもらったときも緊張した記憶があります。

亜希子 私、あの「Walking in the Rhythm」を観て泣きました。すごくよかった。

藤田  そのあと、あっこさんは『cocoon』も観てくれたし、2015年の秋に「ガンガラーの谷」でリーディングライブをやったときも観てくれて。あのとき、サラもいたもんね?

亜希子 そう、サラは『cocoon』自体は観てないけど、「ガンガラーの谷」のときは一緒に行ったの。

藤田  2015年ってことは──サラは何歳だ? 4歳とか?

亜希子 2011年、沖縄に引っ越してきたときに4歳だったから、そのときは8歳とか?

藤田  ああ、そっか。終演後、あっこさんに挨拶に行ったら、ハイエースの中にサラがいたのをおぼえてて──。

冴羅  そのとき、サラは何してたの?

藤田  ハイエースの中で遊んでたんだけど。その時間に、初めてぽつぽつとあっこさんと話しができて。「あっこさんって人、めっちゃ話しやすかった」って、すぐに青柳(いづみ)に伝えたんですよね。サラは頑なに「おぼえてない」って言うけど、そのころから僕はサラと微妙に色々しゃべってて。2021年の6月に、僕らが「水円」に行ったときも、あっこさんとサラが偶然そこにいて──。

亜希子 違う違う、あのときは“かなちゃん”(マームとジプシーの制作・林香菜)に呼ばれてたんだよ。「水円に行くから、よかったらあっこさん来て!」「でも、時間ないの!」って(笑)

藤田  それ、最悪な連絡の仕方だな(笑)。すみません。

亜希子 いやいや(笑)。かなちゃんは私にシンパシーを感じてくれてるらしくて、沖縄にくるときはなにかと連絡をくれるんだよ。だから、6月のときも「会いたいと思ってくれたんだ」って嬉しかった。

藤田  僕、あのときもサラと話してるんだよ? 話してるっていっても、「このロバ、なんて名前だっけ?」みたいな感じだけど。

亜希子 それ、おぼえてる?

冴羅  おぼえてるよ。基本忘れちゃうけど、そのときのことはおぼえてる。

藤田  2018年に「水円」で『みえるわ』をやったときも、あっこさんとサラが観てくれて。そこでもサラとしゃべってるんだよ。青柳はサラとしゃべったことがなかったらしいんだけど、「藤田君、水円にくるたんびにあの子としゃべってるよね」って青柳に言われたんだよね。「え、みんなはサラとしゃべってないの?」って。そういう、ここ何年かの記憶が積み重なったというのもあって──。

2015年「cocoon no koe cocoon no oto」@パン屋水円

沖縄本島北部との出会い

──公演の稽古が始まる数ヶ月前、2021年の秋に、藤田さんは亜希子さんも住んでいる沖縄本島北部に“リサーチ”に出かけたと伺いました。北部に行こうというのは、どういった経緯で話が決まったんでしょう?

藤田  これまではやっぱり『cocoon』のことがあったから、ほとんど南部に足を運んでいたんですよね。

──『cocoon』はひめゆり学徒隊に着想を得て描かれた作品だから、その足跡を辿ると必然的に南部になる、と。

藤田  そう。でも、そういう僕らの沖縄滞在を、郁子さんはちょっと俯瞰して見ていた気がする。「沖縄には北部もあるよ」ってことは昔から郁子さんは言っていたし。僕らとの『cocoon』にまつわる滞在が終わったあと、郁子さんは延泊して北部に行くってことも多かったと思うんだけど。それがあっこさんちだったんですか?

亜希子 郁子ちゃんは、私より古くから沖縄の北部に住んでいる人に、結構知り合いがいたんだよね。それで、2011年にフィッシュマンズのライブが終わったあと、郁子ちゃんがうちのことを気にしてくれてて。打ち上げのとき、「これからどうするの?」「いや、まあ、色々考えてるんだよね」って話してたら、「明後日、沖縄に住んでるLITTLE CREATURESの青柳拓次さんと会うんだけど、一緒に会わない?」って誘われて。青柳さんとは一回だけ仕事で会ったことあったんだけど、じゃあ一緒に行ってみようかなと思ったら、郁子ちゃんは寝坊して来れなくなって(笑)

藤田  ほぼ初対面のふたりが──。

亜希子 「郁子ちゃんは寝坊してこれないんです」って言いながら、沖縄ってどんななんですかって聞いたら、青柳さんが「自分の娘たちを馬の牧場に通わせてる」って言われて。そこから興味を持って、2011年の7月に、4泊5日で沖縄に旅行に行ったの。そしたらね、家まで決まって帰ってきたんだよね。

藤田  最初に引っ越したのが、喜如嘉?

亜希子 ううん、最初は今帰仁。

藤田  ああ、そうか。(衣装の)橘田さんちの近く?

亜希子 そうそう。きっちゃんちの近くに空いている家があるらしいという情報をもらって、まずはきっちゃんちに行って、一緒に見に行ったの。それがきっちゃんとの出会い。その家の隣に古い売店があったんだけど、そこのおばあがキキ(亜希子さんの次女で、当時はまだ0歳)を見て、「赤ちゃん、かわいいさー」って言いながら抱っこして、家の中に連れてったの。「あんたたち、ここ住みたいのー?」「住めたらいいですねえ」「わかった、大家に電話する」って、その場で電話してくれて。

藤田  ええ? そんなことってある?

亜希子 その大家さんは浦添に住んでたから、「台風がこなかったら2日後に行くよ」って言われて、ほんとに2日後にきてくれて。もう、呼ばれちゃったね、行くしかないねみたいな感じで、引っ越すことになったんだよね。

藤田  そのとき、サラは4歳だったんだね。

亜希子 そう。サラはほんとに馬が好きで。サラはもう東京で幼稚園に通ってたから、そこからひっぺがして沖縄に連れていくなら、サラが楽しめないと駄目だな、って。そこで牧場の話を聞いて。サラは「馬になりたい」ってぐらい馬が好きだったから、沖縄に旅行に行った次の日から牧場に預けたんだけど、「すごい楽しい」って言ってたんだよね?

冴羅  楽しかった。

藤田  楽しかったんだ。それはおぼえてるんだね。まあ、そういうあっこさんたちのエピソードを郁子さんづたいに聞いていて。南部を巡っていても、いつも話しにあがるあっこさんたちのことが気になっていたし、自分たちのなかで自然と北部の存在感が増していったというのもあるんです。

直感で繋がっていく

藤田  それで──『Light house』の準備を進める上で、やっぱり今帰仁に行かなきゃいけないなと思い始めたんですよね。僕が行く前に、青柳があっこさんちに滞在して。

亜希子 そう、いづみちゃんが来てくれて、藍染に関する場所をただただふたりでまわったんだよね。

藤田  最初は「衣装に藍染を使いたい」ってところから、青柳だけが今帰仁に行って。そしたら、帰ってきた青柳が、藍染を通じて水の話を怒涛のようにしてきて。そのとき、どんなことがあったんですか?

亜希子 いや、オーダーは「藍染に関する場所をまわりたい」ってことだったから、「まだ何も決まってないんだけど、水がテーマってことだけは決まっているお芝居があるんです」って皆に説明しながら、いろんな場所をまわって。とにかく、その場所に行って、その人がやってることを見るしかないじゃん。それで、私も藍染を見たことはあったんだけど、質問とかしたことはなかったから、単純に自分の興味として楽しかったんだよね。藍染についての理解も深められたし、藍染といってもそれぞれこんなにも違うんだってこともわかって。でも、それだけだよ。あとはもう、よくしゃべって、よく飲んだ。

藤田  その中で、邊土名徹平さん(大宜味村で木造帆船サバニの造船を行っているヘントナサバニ代表)の名前が出てきたんですか?

亜希子 車で走ってたら、偶然ヘントナサバニが見えたんだよね。そこで「水がテーマだったら、サバニって面白いんじゃない?」って。1日目に行った「藍風」って工房でも、サバニの話が出たんだよ。その人はサバニで宮崎まで行ったことがあるらしくて、ずっとサバニの話を聞いて、それで次の日に徹平君のところに寄って──藍染を探しにきたはずなのに、2日ともサバニで終わったわけ。これはサバニに何かあるね、って。

藤田  あっこさんの直感みたいなのって、連想みたいに繋がっていくの?

亜希子 心理学者の河合隼雄さんの本に書いてあったんだよ。たとえば今日、畑でひまわりを見て、本屋に行くとひまわりが表紙の雑誌が置いてある。「そのとき僕は、必ずひまわりの雑誌を買ってみるんです」って、河合隼雄さんが書いてて。なんか気になると思ったら、それを流さずに置いておく。

藤田  あっこさんの頭の中には“ライブラリー”があるというか。その棚から引っ張り出してきてくれるんですよね。演劇って、会話を作っていくことも大きなミッションなんだけど、会話の流れを作るのも、実はそういう作業で。「こことここが一致するから、これをピックアップして描いてみよう」みたいな。最初は全然違う話をしてたのに、いつのまにかサバニの話になってたとか、なんか流れがいいなあって思う。サバニは海だけど、さらにちょっと水源地に近づきたくなってきたときに、オーシッタイ(水源地の近くにある集落)の話を自然としていましたよね。あれはどうしてだったんだろう?

亜希子 それもいづみちゃんオーダーだったと思うんだけど、たしか「滝に行きたい」って言われたんだよ。

藤田  なはーとのあみちゃんとも、「滝とか、もっと水に迫ってみてもいいんじゃないか」ってことをミーティングしていたんですよ。それで、仰太君っていう養蜂をやってる男の子に水源地を案内してもらうことになって──でも、仰太君も、あの日初めてガイドしてくれたんですよね?

亜希子 そうそう。「この人、良い気がする」みたいなのはずっとインプットされてたんだけど、オーシッタイに行ってみたいって話が出て、「ここじゃない?!」っていうタイミングがきたわけ。

藤田  そういうところが、プロデューサーだなあと思うんですよね。今までガイドしたことがない人に、「ガイドしてもらおう」ってなるのが。

亜希子 「これ、仰太君だな」って思ったんだよね。それで、オーシッタイをガイドしてもらおうってお願いしたら、「じゃあ水源地に行ってみますか」って仰太君が言ってくれて。あそこの水源地が、私は本当によかった。藤田君がどう思ってたかはわかんないけど──いづみちゃんからもかなちゃんからも「水をめぐる旅をしたい」ってオーダーだったんだけど、違かったの?

藤田  いや、違くないです(笑)。あっこさんはたまに、今みたいに「違かったの?」って言うんですよ。オーダーとして違かったわけじゃないんだけど、僕が見てたのは違うところで。秋に北部を巡ったとき、一番良かったのはあっこさんちの朝食だったんです。

朝食の風景

──朝食が良かったっていうのは、どういうことでしょう?

藤田  サラの前で言うのは初めてだけど、「サラに出演をオファーしたい」ってことは、あっこさんとはZoomで話してて。あっこさんが「やっぱりサラに直接会って話したほうがいいと思う」って言ってくれたから、あのときはサラに会いに行こうって気持ちで、北部に行ったんです。そのときの朝食が──サラもなんか作ってたり、キキがコーヒー淹れてたり──その時間がすごく良くて。出てくるものは、別に沖縄っぽいものとかではなくて、普通の朝食で。

亜希子 何食べてたっけ? タピオカ食べたっけ?

冴羅  タピオカも食べてたよ。

藤田  タピオカも出してくれたけど、しらす丼を出してくれたんですよね。そのとき、サラが器を運んでくる様子を見れたのが、僕の中では良かったんですよね。

──それって、ちょっと誤解されやすいところもあるかなと思うんです。今の話は、「ホテルだとか、飲食店の料理とは違う、生活感のある食事をいただけてほっこりした」みたいな話として受け取ることもできるんですけど、藤田さんが「良かった」と言うのは──それも作品を立ち上げる観点から「良かった」というのは──またちょっと別の話だと思うんです。その「良かった」というのを、もう少し具体的に聞かせてもらえますか?

藤田  なんかね、時間が見えたんです。これは小川(恵祐)君とかルーシー(鳥井由美子)とか、今回あらためてオファーした人は全員そうなんですけど、沖縄っていう場所で、その人たちと会話した記憶があるんですよ。その会話した感じっていうのが、キャスティングの大切なことになるんだけど。その朝食のとき、今あっこさんが座ってる、窓のところに僕は座ってたんです。そこに座ってると、ここにテーブルがあって、その奥にキッチンがあって、ちょっと店の外から朝食風景を見ているような感覚になったんですよね。その瞬間に浮かんできたシーンがあって。サラは舞台上で料理をしていて、朝食を作って、ランチを作って、ディナーを作って──その動きだけを見ていると、ある1日のことのように見えるんだけど、サラ以外の人たちは、実は朝食からランチまでのあいだに何年も経っていて、もしかしたら老いているのかもしれない──っていう時間が見えてきて。サラがね、左利きなんだよね。他の兄弟とも微妙に違う動きをしてるというか。

亜希子 うん、わかる。直線的というか、ちょっと独特だよね。

藤田  すごく手際がいいんだけど、パッと見ただけだと手際よく見えないというか。しかしほんと、サラは料理がうまくて、ちょっと末恐ろしいんですけど。

──サラさんの中では、その日の朝食のことって、どういう記憶として残っていますか?

冴羅  うちの横にある建物を宿として貸したとき、たいてい朝ごはんを一緒に食べるんですよ。そのときは作るのを手伝ったり、出すのを手伝ったりするんですけど、それともまた違って、不思議な楽しい時間でいた。泊まりにくる人って、よく知ってる近しい人か、そうじゃなければまったく知らない人なんですけど、その中間みたいな感じで。

藤田  そうやって朝食を食べる2日間があったんだけど、いつサラに「出演してくれないか」って言おうか、ずっとタイミングを測ってたんです。サラも結構忙しいから、なかなか言えなくて。サラを僕らが泊まっていた宿に呼び出して、「出演しないか」って話をしたんだけど、あのときサラには何にも伝わってなかったんだよね?

冴羅  その日は友達と遊んでて、「眠いから寝る!」ってひとりで寝て、2時間ぐらい経ったところで呼び出されて、「え?」って。

亜希子 そのあと、サラに聞いたんだよね。藤田君に何て言われたのって聞いたら、「よくわかんないけど、『お芝居に出てください』って言われた」って。藤田君たちは次の日帰っちゃうから、もう一回会って話したほうがいいよねってことで、迎えに行ったんだよね。

藤田  僕たちはその日、オーシッタイを案内してもらってたんだけど、サラはちょっと早めに牧場を早退してくれて。そこでもうちょっと具体的に、こういうことをしてもらいたいって話したんです。サラは何も言わずに、ずっと料理の支度をしてる役。皆は何事もなかったようにそれを食べて、年を重ねていく──サラは料理を配膳してるだけ。というイメージの話を。

北部で感じた時間の感覚

亜希子 だから、最初は水をめぐる話だったはずなのに、沖縄に滞在しているあいだに、完全に時間の話に変わってたんだよね。

藤田  そうそう、そうだ。

亜希子 車の中で、「これって時間の話だよね」って話をしたんだよ。私はさ、ずっと時間について考え続けてて、去年の6月に佐藤さんの詩集(『ロングシーズン 増補版 佐藤伸治詩集』河出書房新社)が出て、3回目のあとがきを書かせてもらったときも、時間のことを書きたかったんだよね。でも、時間のことは書けないまま時間切れになって、「今の自分はここだからしょうがない」ってことで送ったんだけど──藤田君はさ、私が気になってることをたまに言ってくるんだよ。だからあのとき、急に時間の話に切り替わったときに、もしかすると藤田君は私が気になってる話をつくるのかもしれないって思ったわけ。時間って、なんか面白いよね。

藤田  沖縄に出会って10年経ちますけど、それって南部ではあんまり感じなかったことなんですよね。「波羅蜜」の(根本)きこさんが「外で降っている雨と、蛇口から出ている食器を洗う水がリンクする」って言ってたんだけど、この水っていうのはいきなり生まれた水ではなくて、何年も前に生まれたものかもしれないし、もっと遡って木の中にあった時間を考えると、何万年も前の何かと繋がってるかもしれない。そういう感覚が、あのときの2日間の滞在にはあったんですよね。水のつながりを巡ってたんだけど、結果として話していたのは時間の話で。サバニにしても、邊土名さんが最近作った船ではあるんだけど、「これと同じ形の船でサメを追っていた人たちがいつかいたんだよな」と考えると、古代の話になっていく。うまく言葉にならないんだけど、それが不思議な感覚でしたね。

亜希子 藤田君から理由は聞いてたんだけど、なんで藤田君はサラを誘ったんだろうって、自分なりにも考えていて。あるとき思ったのは、サラのすごさみたいなのは、たぶん「そこに在る」ってことなんだと思ったんだよね。そこにただ在る。そういう強さがサラにはあると思っていて。存在とかそういうことじゃなくて、ただ在るっていうことが大事で、それも時間が関わってくる話だと思ったんだよね。

藤田  こういう類いの企画だと、「沖縄出身の人がキャストの中にいるのか?」ってことを言われたりもするんです。もちろん、よいタイミングで出会えた人がいるなら、そういうキャスティングをしたいけど、いきなり捻り出すように誰かと出会いに行っても仕方がないと思ったんですよね。その一方で、サラがいた朝食の時間だとか、誰かとチラッと話した時間みたいなものは、沖縄での体験としてすでに自分のなかにあるから、その感触が『Light house』に必要だったんです。誰がどこで生まれたとか育ったとか、出自は関係なくて。そこで過ごした時間が身体の内側にある人って、見たらわかる──というか、僕には見えるというか、わかるんです。
だから、今回の作品にサラがいてくれたことは、全員にとってよかったと思う。サラがいなかったら、東京にいる僕らの頭の中で「沖縄ってこうらしいよ」という想像の話ばかりになっちゃっていた気がする。サラは「モーウィを持ってきてくれるおじさんがいるんだよね」ってことを、生活の次元で話してくれるから。そういう話を聞ければ誰でもよかったわけじゃなくて、この何年間かでサラとぽつぽつと話した記憶があって。その声で話してくれるから、頭の中でリフレインされる解像度が高くなったんだと思うんです。

言葉を交わした記憶から、作品が立ち上がる

──ここまでの話を聞いていて、印象深かったことがあって。藤田さんは最初、「あっこさんに作品を観てもらうのは緊張した」って話をされてましたよね。僕の印象としては、そうやって緊張をともなう出会い方をした相手に対して、藤田さんはずっと緊張感を抱え続けたまま接するタイプだと思うんです。でも、そうやって出会った亜希子さんに対して、「話しやすい」ってことを言ったのが、かなり意外だったんです。

藤田  ああ、たしかに。そう言われるとそうですね。

──サラのキャスティングについて、「沖縄の日常的な感覚について話してくれる人がいれば、それは誰でもよかった」ってことではなかったように、「沖縄本島北部をアテンドしてくれる人がいれば、それは誰でもよかった」ってことではなかったんだと思うんです。そこではきっと、どこを歩くかってこと以上に、「そこを歩きながら、誰と話したいか?」ってことが、作品にとって最初の一歩になっている気がするんです。そこで「あっこさんと話したい」となったのは、何が一番大きかったんでしょう?

藤田  正直に言うと、話しやすいとはいえ、あっこさんと会っているとずっと緊張はしてるんですよ。あっこさんは、今関わっていること以上の何かを、僕の後ろに見透かしてるから。だから、朝食の時間のこともリラックスした時間のように語ってるけど、寝ぼけながら朝食を食べに行っていたわけではなくて、背筋は伸びていたんです。あっこさんって、僕の作品を観たあとも、ぼんやりしたことは言わなくて──観劇した直後の感想って、ぼんやりしたものになりがちだと思うんだけど──あっこさんの場合、かなりはっきりした言葉なんですよね。驚くほど。いわゆる「大人」って、なにかフィルターを通して話しちゃうじゃないですか。あっこさんからはその感じが全くしなくて、話すといろんなことが明確だし。正直なところで関わってくれるんじゃないかなあ、って。こっちも正直に、「あっこさんには話せるよね」ってことがたくさんある。しかも、いきなりそうなったんじゃなくて、この10年でそうなったんですよね。だから「あっこさんの目も通して、北部をまわりたい」ってことは制作と話していた気がします。

──人って、自分の内側にある言葉を、誰に対してでも伝えるわけではないと思うんです。たとえば亜希子さんの中で、時間ってテーマのことがずっと気になっていたとしても、いつ誰に対してでもその話をするってことではないと思うんですよね。藤田さんが「あっこさんと話したい」と思ったように、亜希子さんの中でも、「このテーマのこと、この人になら話せるかも」って感覚があったんですか?

亜希子 うん、ある。自分の興味は常に追い求めてるから、藤田君が今回言ってきたことが、自分的にもとても興味があったんだと思う。それがまず前提としてあった上で――なんて言うんだろう、「サラに出演してもらいたい」って言われたあとで、藤田君がやってるワークショップの映像とかを観てみたんだよね。地図をつくるワークショップをしてたときに、「こういうことをやると、誰の人生も馬鹿にできないと思うんですよね」ってことを藤田君が言っていて。私、藤田君って、そういうことを言う人じゃないと思ってたから、ちょっとびっくりして。藤田君ってそういう考えなんだ、なんか信頼できるなと思ったんだよね。その言葉を聞いて、今回のプランを立てた気がする。特別なことはやめよう、って。そうじゃなくて、そこにある暮らしを藤田君は見たいのかもしれないなって思ったんだよね。

藤田  ありがとうございます。

亜希子 「お芝居に向けたリサーチにきてる」って言われたら、なにか特別なものを見せようってなっちゃうじゃん。でも、それってつまんないよね、っていうさ。それだったら、ぎゅーっと暮らしの中に入ったところを見たほうが面白いよね、って。それを見せたときに、「ああ、藤田君はそういうふうに見るんだ?」っていうのも、見てて面白かったんだよね。

リマ植田亜希子(リマ・うえた・あきこ)
1975生まれ。’95年に株式会社りぼんに入社。入社当時よりフィッシュマンズの現場を担当。’96年フィッシュマンズのマネージャーとなる。2007年にりぼんを退社するも、現在に至るまでフィッシュマンズの諸々を担当している。2011年に沖縄に移住。農業・農家カフェを家族で営んでいる。

リマ冴羅(リマ・さら)
2007年生まれ。牡牛座。A型。長女。日本馬術連盟騎乗者資格B級。
2011年に家族で沖縄に移住。移住当初よりみちくさ牧場に通い、馬とともに成長している。