Dialogue2

vol.2 平岡あみ(那覇文化芸術劇場なはーと 企画制作)×鳥井由美子(出演者・制作)×藤田貴大
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『Light house』関係者鼎談
『Light house』関係者鼎談
聞き手・構成: 橋本倫史


小金沢健人(環境演出)×東岳志(サウンドスケープ・音響)×藤田貴大

『Light house』関係者鼎談 vol.2
聞き手・構成: 橋本倫史

平岡あみ(那覇文化芸術劇場なはーと 企画制作)×鳥井由美子(出演者・制作)×藤田貴大

──『Light House』には、なはーとの平岡あみさんが制作として携わられていて、普段は制作者として活動している鳥井由美子さんが出演者として関わっています。まず、藤田さんがおふたりと出会ったのはいつ頃なんですか?

藤田 あみちゃんとは、僕が『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』のツアーで城崎国際アートセンターに行っていたとき、最初はZoomで繋がったんですよね。それまでは崎山(敦彦)さんってプロデューサーとやりとりしてたんだけど、あみちゃんが作品の担当になるってことで紹介してもらって。ルーシー(鳥井由美子)との出会いは──あれはいつだろう?

鳥井 最初に関わったのは、『まえのひ』のときで。

藤田 でも、その前に“サボテン荘”(マームとジプシーの関係者が以前住んでいたシェアハウス)で会ってるよね?

鳥井 そうね。その前に会ってるね。

藤田 そのあと、『まえのひ』って作品でツアーをしたときに、京都と大阪の公演を手伝ってくれて。その翌年に『cocoon』を再演するときには、ルーシーが沖縄での窓口になってくれて。そこでルーシーから「アトリエ銘苅ベースって劇場ができるらしいんだよね」って話を聞いてたから、2018年に『みえるわ』って作品のときには「水円」と「銘苅ベース」で上演することになって。そこからさらに時間が経った頃に、「ルーシーは今、どうやら劇場をやっているらしい」って噂が浮上してきて、なんか面白いことになってるな、と(笑)。なんで劇場をやっているんですか?

鳥井 私がやっている「わが街の小劇場」ってところは、別の方が10年間やってきた劇場で、もともとの管理人の方が引っ越すタイミングで譲り受けたものですね。

藤田 そうなんだ。そもそも、なんで沖縄に居続けてるの?

鳥井 やっぱり、まだここの土地の人たちと生活したいし、中に入って演劇を続けてきたものだから、沖縄の演劇の仲間との生活もある。それを続けたいっていうのが理由かな。

──今回この座組みで鼎談を収録したらどうかと提案したのは、演劇における制作の役割について、言葉にしてもらえたらなと思ったからなんです。演劇作品と聞くと、「作家が『こういう作品をつくりたい』と考えて、使わせてもらえる劇場を探して、上演に至る」と想像する人もいると思うんですね。もちろんそういう流れで上演される作品もあるとは思うんですけど、今回の『Light house』は、なはーとから「新作をつくってほしい」と依頼があったところから始まった企画だと伺いました。

藤田 たしかに、観客からすると「藤田が沖縄のことを描きたいって言い出したから、なはーとって劇場に話が持ち込まれた」って捉えられるかもしれないですね。でも、僕から「こういう作品がつくりたいんです」って劇場に持ち込むことはほとんどなくて、劇場やプロダクションから依頼を受けた仕事を捌いていくというのが、ここ何年かの大きなミッションだと思っていて。ただ、僕が仕事を引き受ける際に意識しているのは、「ここでなにか作品を上演してほしい」というオーダーと、僕が「こういう作品を作ってみたい」というイメージが、タイミング的にも一致しているかどうか。『Light house』でいうと、なはーとから話をいただいたときに、「ああ、『cocoon』じゃないところから沖縄を見つめていいんだ?」って、シンプルに嬉しかったんです。

描くことと、描かないこと

──今回、なはーとから「沖縄をモチーフに新作を上演してほしい」というオーダーがあって、あらためて沖縄のことを知っていく時間を過ごされたんだと思うんですけど、具体的にどんなところから作業が始まったんですか?

藤田 崎山さんから依頼があったのはコロナ禍が始まった頃なんだけど、最初は「頻繁に沖縄に足を運んで、作ってほしい」ってオーダーでもあったんです。でも、コロナ禍になって、沖縄に行ける状況じゃまったくないよねって期間が続いたし、行くはずだった予定も連続してダメになったんですよ。実際にマームは、いくつもの公演を延期にするという判断をしていたし。僕の認識だと、そこで「駄目だ。自分の言うことを藤田君が聞いてくれない」としびれを切らした崎山さんが、去年の2月にあみちゃんを東京に派遣したってことだと思ってるんだけど──。

平岡 訂正させていただくと、派遣されたわけではなくて(笑)。あのときは沖縄も東京も緊急事態宣言が出ていて、出張もできなかったんです。ただ、私の実家が東京にあったので、個人的な里帰りのときに、マームとジプシーの事務所に伺って。藤田さんにお会いしたことがなかったので、じっくりお話ができたらなと思って、2月と5月に伺ったんです。

藤田 マームの事務所で、あみちゃんから見た沖縄のことを聞いてみたんだよね。聞いていると「ああ、僕もそこ行ったことある」みたいに、ずいぶん行けていない沖縄の空気が自分のなかに戻ってくる感覚がありました。

平岡 2020年の秋にオンラインでミーティングしたときに、どういうテーマで新しい作品を作っていくことになるのかみたいなことはお話ししていたんです。そのとき崎山から、「沖縄に滞在していただいて、リサーチをして作品をつくってもらいたい」という話はしていたんですけど、藤田さんがおっしゃったように、沖縄にこれたとしてもいろんな人に話を聞きに行ったり、一緒に食事をしたりするって状況ではとてもなかったので、どういう段階を踏んで作品をつくっていくのがいいんだろうってことを、そのときお話ししたかなと思います。

藤田 2020年の秋の段階では、エイサーのことを調べてみようとか、祝祭みたいなテーマで考えてみようとかって話になっていましたよね。こけら落としシリーズってことで、お祝いの場でもあるし、場が始まるタイミングでもあるから。でもそこからあみちゃんと出会って話していくうちに、祈りや祝祭の複雑さに触れることができたのが、今思えばよかったかも。あみちゃんが沖縄的な結婚式に参加したときの話を聞かせてもらったり、沖縄の冠婚葬祭に関する分厚い本を持ってきて説明してくれたり――そう話しているうちに、「それをモチーフにして掘り下げていくのは違うんじゃないか?」と思うようになって。あの時間は、作品へ向かうまでのチューニングというか。いろいろ調べた上で、やる部分とやらない部分を確かめていくような時間だった気がします。

平岡 私が青年会の事務局をやっていたので、お祭り的なことには参加しているほうではあるんです。そのエピソードをお伝えしてはいたんですけど、それはあくまでも私がそういうことが好きだからそういう場にいるだけで、沖縄で普通に暮らしていると、自分の地域のことに特に関わっていない同世代もたくさんいるってことはお話しして。

藤田 その部分を聞けてよかったなと思ったんです。僕が沖縄の冠婚葬祭のことを深く調べて、あみちゃんという人物にも協力してもらって、ちょっとお祭りに参加してみるとか。やろうと思えば出来たかもしれないけど、それってその土地の人たちにとっては普通のことを、特別視して作品を描くことになるんじゃないか、と。これは北九州や福島で滞在製作したときも感じたことなんだけど、そこで普通に生活している人たちのことを、「こんな変わった冠婚葬祭があるんですよ」みたいな視点で見つめてしまうと、僕とその土地との境界線が色濃くなるだけだと思うんですよ。それで言うと、『cocoon』は難しい作品だなと思うんです。「この土地ではこういう凄惨なことがあった」って前提があるから。一方で『cocoon』で描かれているのは「こんなに普通の10代の子たちが」ってことでもあるから、そのトーンを忘れたくないんです。

ダイアローグからプロットが生まれる

藤田 それで、去年の3月あたりにタイトルが決まったんだよね。

平岡 そうでした。

藤田 なんか漠然と、「どこにでもいるような家族の話にしたいんだよね」ってことだとか、あとは今このタイミングで劇場が建つということに興味があって。劇場ってどういう場所なんだろうって考えてみたときに、灯台が日々おこなっている作業と近しいものがあるんじゃないかと話していて。あみちゃんは3日間ぐらい事務所にいてくれるときもあって、そういうことをずっと喋ってた気がする。

平岡 丸3日間ぐらい話してました。藤田さんがプロットを書いていくなかで、「井戸にまつわる話だと、こういう体験があります」とか、自分の家族が島で生活したときにびっくりしたエピソードとか、沖縄で経験した暮らしのことを話していたんです。

藤田 その時間が大切だったなと思いますね。僕は普段、テキストを書いてるときは周りにいる人たちに黙っててほしいんだけど、あみちゃんがいろんな話を絶え間なくしてくれるのはストレスじゃなくて、「ああ、なるほど」みたいに書きながら、話して。ふたりの中で沖縄にまつわるダイアローグが生まれていった感じが、実際に作中での言葉遣いや、登場人物たちのスタンスにも繋がっていった気がします。自然と、井戸とか水とかの話になっていったのもそうだけど。

──それが3月のことで、その3か月後の2021年6月に、藤田さんは沖縄に足を運ばれています。そこで沖縄をめぐるとき、鳥井さんも一緒でしたけど、その段階でもう「鳥井さんにもこの作品に関わってもらおう」というお話はされてたんですか?

6月に訪れた垣花樋川

藤田 いきなり、以前から知っているルーシーも「この公演の制作で雇いたい」みたいなことを僕から言い出すと、それって結局マームがこれまで独自に出会った人をチームに入れるだけになっちゃって、変な閉塞感も生まれてしまうかもしれないから、そこはセンシティブな問題だなと思って。なんらか関わってほしかったけど、あえて名前を出さずに黙ってたんですよ。今回はなはーとと取り組んでいる企画で、そこにあみちゃんという担当の制作さんがいることに満足していたし。ただ、沖縄へ行くということは、ある程度知り合いを頼ったほうが動きやすいところもあって、まずそこでルーシーに運転手を頼むことにしたんです。

鳥井 はい。友達が沖縄にやってきたっていう感じでした(笑)

藤田 そのとき、頭の片隅で引っかかっていたことが、青柳から「ルーシーは最近、役者もやってるらしいよ」と聞いていたことだったんです。到着して、那覇空港の駐車場まで歩きながら、「役者をやってるって聞いたけど、どういうことなの?」とツッコミを入れると、ルーシーが「いや、なんでもやってみなきゃいけないと思って」みたいな、ぼんやりしたことを言いだして(笑)。そこから6月の数日間が始まったんです。

2021年6月の沖縄滞在

6月に訪れた喜屋武岬の灯台

──6月の数日間、いろんなところを巡りましたけど、行き先はどうやって決めたんでしょう?

平岡 6月は私、藤田さんとはほとんどお会いしてなくて。藤田さんが沖縄にいらっしゃる前に、私は青柳さんとふたりでいろんなところに行って。

藤田 そう、僕が行く1週間くらい前から、青柳がひとりでツアーしてたんだよね。僕の話を踏まえて、水に関する場所を巡ってみるツアーを、あみちゃんとふたりで。まず青柳が出会った場所をあらためて僕が巡ってみようってことで、あのときは車2台で移動してたんだけど、僕はルーシーが運転する車に乗るようにしてたんです。ルーシーに──ほんとに馬鹿みたいな質問なんだけど──「沖縄に面白い写真家っているの?」とか、「沖縄って現代美術はどういう感じなの?」とか、そういうざっくりした質問を投げかけて。ルーシーから必ず何かしら返答があるんですよ。それが面白くて。ルーシーは去年閉店した「言事堂」って古本屋さんでアルバイトしていたから、「その本、あとで東京に送ってもらえる?」みたいなことを。

──移動しながら、そういう話をぽつぽつされてたんですね。

藤田 一番面白かったのは、スイカの直売所に寄ったときだったんだけど。北海道でもトウモロコシの直売所とかたまに現れるんだけど、あそこって結構迫力があるじゃないですか。僕、道の駅とかは行っても、ああいうところはあんまり寄らないタイプなんだけど、どうやらあみちゃんが結構直売所とか寄るタイプらしくて。それに感化されたのか、青柳が「ルーシー、あそこの直売所に寄ってよ」って言い出して、スイカの直売所に寄ったんです。それで──どうやらスイカって、1玉買えば十分なんだよね?

鳥井 うん、1玉でいいよね。

藤田 僕はそういうこともわかっていないんだけど。直売所のおじさんが「2玉買ってくれたら安くする」とか、「そしたらこの花もつけてやる」とかって言い出すから──結局2玉3000円ぐらいで買って──直売所から車に戻ったとき、ルーシーが「いや、もっと安く買えるで?」とかって、すごい牙を剥いてて。「スイカの値段でそんな怒る?」ってことも面白かったんだけど、ルーシーがそうやって怒ってるあいだ、後ろの荷台で2玉のスイカがずっと音を立てて転がってるんですよ(笑)。滞在中、外食へは行けないからってことでキッチンがある一軒家みたいな宿に泊まってたんだけど、その日の夜にルーシーが宿まできてくれていろんな話をしたあとに、そのスイカ2玉をルーシーに持たせるっていう。結局、食べれなかったんですよね、スイカ。そのときにもう、僕の中ではルーシーに出演してもらいたいって思ってました(笑)

鳥井 怒ることもなく、2玉とも持って帰るっていうね。値段のことで怒ってたかどうかも忘れてるようなぐらいなんですけど、怒ってるふりはしないから、ほんとに怒ってたんでしょうね。

フィールドワークとしてのオンライン企画

──さきほど話にあったように、今回の企画は「藤田さんに沖縄まで足を運んでもらって、沖縄の文化や生活に触れて、そこから作品を立ち上げてほしい」ってことが出発点になっていたものだと思います。ただ、どうしても行き来がしづらい状況になったときに、どういうアプローチが可能かということについて、どんなやりとりをされたんでしょう?

藤田 沖縄に行けない状況がずっと続いているときに考えたのは、たとえばガマに入ってみましたという体験は貴重だし、歴史について調べてみましたってことも大切なことなんだけど、もうちょっと細かいことってあるよなと思ったんです。自分の身体ってひとつしかなくて、この身体の中に記憶器官があって、そこに詰め込めるだけ詰め込もうとするんだけど、最終的に残ってるのは「ルーシーとスイカ、面白かったな」ってことだったりする。これも僕の中ではフィールドワークなんですよね。行かなきゃわかんないことってたくさんあるんだけど、些細なことをピックアップしている自分もいたから、沖縄に行けないことをハンデと感じるのはもったいないんじゃないかって思うようになったんです。

平岡 2月と5月のミーティングのとき、「もしかしたら、本番まで一回も沖縄に行けなくなっちゃうかもしれないけど、それがハンデになるって考え方はやめにしたい」って藤田さんがおっしゃっていて。私としては、私が話をしたところからプロットが出来ていく作業が面白かったので、藤田さんがいろんな人のお話を聞いて、そこから作品が立ち上がって、そのやりとりをオンラインで観れたら二重に面白いんじゃないかと思って、ウェブで連載している対談企画やオンラインワークショップが決まっていったような気がします。

──どこかに足を運んで何かを感じることも大切ではあるけれど、誰と言葉を交わすかが重要だったということですね。そこから藤田さんと誰かにオンラインで言葉を交わしてもらう場を作るときに、対談相手の人選はどうやって決められたんですか?

藤田 そう、それは僕も聞きたくて。制作的なことはあみちゃんとやりとりしようと決めてたんだけど、ルーシーも聞けばいつも何かしら出てくるから、ルーシーにもその対談シリーズの準備や資料集めには協力してもらおう、というのが決まって。誰と対談するか、結構長いあいだ揉んでたよね?

平岡 オンラインでの対談になってしまうので、誰にでもお願いできる企画ではないっていうのがありました。それとは別に、私の視点としては「多様な人とお話しできたらいいな」ということで、たくさんリストアップした中から選んでいったような気がします。

藤田 最初に見せてもらったリストの段階では「営み」って言葉にたどり着いていなくて、誰か面白い人と──みたいな、少し乱暴な感じだったよね。

鳥井 私としては、ここ数年ずっと見ていたなかで、マームとジプシーは演劇以外のジャンルの人と話して共通言語を持つ体力はあるっていう確信があったので、そこはすごく楽だったんです。相手方のほうでも、私がこれまで出会ってきた人たちを思い浮かべたときに、皆さんそれぞれ専門性があるなかでも、まったく知らない演劇というものに興味を持ってくれて、自分の営みの専門性と絡めて話してくれる人もいたんです。そういう人とならマッチングできるなと思って、候補として挙げていった感じです。

藤田 そこから制作からもらった対談シリーズのキャッチの書き直しを重ねていったときに、「営み」って言葉にたどり着いたんですよね。ああ、「営み」って言葉に当てはまる人と話してみたいんだ、と。演劇は上演/公演するものと格好つけるけど、僕らは演劇を営んでいるだけなんですよ。「営み」という言葉の下では、飲食業となんら変わらないことをしていると思っている。最初はシンプルに面白い人と出会おうって観点でいたんだけど、徐々にそっちに振れていきましたね。お店を営んでいる人、なにか毎日の「営み」がある人に出会うことで、『Light house』という作品で劇場という場をテーマにしようとしていることと、そこが繋がっていくんじゃないかって話になった。

鳥井 対談のとき、皆さんそれぞれ自分の生活の場に寄った話をされていたんですけど、私も同じように場を持っているので、自分としても勉強になりました。自分がもやもや思ってたり、こだわったりしてることてこういうことやったんかって気づくことが、すごくたくさんあって。そこはびっくりしてます。私はビールなんか作れないし、クリフさんみたいに立派やないのに(笑)

平岡 対談相手の方も、藤田さんにいろんな話をしてくれるので、毎回面白くて。ソーセージひとつとっても、その後ろ側にあるエピソードや、地域との繋がりを知ることが出来て、毎回面白かったです。

劇場という営み

那覇文化芸術劇場なはーと

──さきほどのお話の中で、『Light house』というタイトルは劇場という場所が新たにオープンするところから着想を得ているというお話もありました。営みという話と関連して、劇場という営みについて、今どんなことを感じてますか?

平岡 開館から3ヶ月経ちますけど、まだ始まったばかりで。コロナ禍ということもあって、ロビーもがらがらなんですけど、地域の人がロビーに集まって、人と人が出会ったり、いろんな会話がそこで生まれてり、そういう場所になるといいなと思っています。まだ全然そこまで行き着けていない状況ではありますが、作品がここで催されると人が集まってくる状況にはなってきているので、作品やアーティストを通してメッセージを発信したり受信したりってことを、これから重ねていけるかなと思っています。

藤田 今回『Light house』をやってても、演劇って難しいなってことを改めて感じるんです。僕はほんと、『ヤンマガ』とか『スピリッツ』になりたいんです。300円とかで数分間楽しんでもらうってことでも表現はいいはずなのに、演劇ってそもそもお高くとまってるよなあ、って。でも、劇場ってただ高尚なものを発表していくところじゃなくて、今のあみちゃんの話にもあったように、ロビーで誰かと誰かのダイアローグが生まれたり、地域の人と生活とフラットに繋がるようなスペースでもあると思うんです。僕が生まれ育った町にある劇場って、そういう劇場だったんですよね。変な和室に入ったら将棋をいじれたり、新聞だけ読みにきてるおじさんがいたり。普段演劇を観ないような人にも足を運んでもらえるようなスペースになって欲しいってことは、皆の願いであると思うんだけど、だからちょっと緊張します。結局のところ、演劇ってことでお高くとまっちゃってるんじゃないかって反省は常にあるんですけど。

平岡 もっと土臭くいきたいですよね。

藤田 そうそう。高尚なところでやりたくはないんだけど、自然とマッシュアップされちゃうところがあって。街自体に雑多な感じがあるから、そこになじんでいくような仕掛けが出来る企画とかも、今後機会があるんだとしたらやりたいなとも思います。

鳥井 色々考えてしまうけど、あかりを灯して、くるかけえへんかわからん人を待っていることが場所にとって一番大事なことだから、じっと待つ作業やなあと思います。

平岡 野村萬斎さんによる大劇場でのこけら落とし公演のとき、知り合いがたくさん観にきてくれて。そこに鳥井さんもきてくれたんですけど、劇場の中には入らず、ずっとロビーにいてくれて、面白かったです。「にぎやかな感じが好きやから」って、ずっとロビーにいて。そういう人が増えたらいいなと思います。

平岡あみ(ひらおか・あみ)
那覇市の公立劇場「那覇文化芸術劇場なはーと」で事業の企画・制作を担当。1994年ニューヨーク生まれ、東京育ち、那覇在住。

鳥井由美子(とりい・ゆみこ)

1984年生まれ。奈良県出身。沖縄県在住。2012年より演劇活動を始める。大阪・京都・東京・横浜の数々の団体の演劇・コンテンポラリーダンス作品に制作で関わり、公演運営や広報を担当する。2018年より沖縄県に拠点を移す。小劇場「アトリエ銘苅ベース」の運営メンバーや、地元の演劇人との創作活動を行う。2020年12月より那覇市の「わが街の小劇場」を先代より引き継ぎ、劇場主となる。