Dialogue1

vol.10 高安夏子(「おきなわいちば」編集長)×藤田貴大
おきなわいちば  presents対談シリーズ

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おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
おきなわいちば presents
対談シリーズ


「沖縄での営みをめぐる」

おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.10

高安夏子(「おきなわいちば」編集長)×藤田貴大

藤田 高安さんは1996年から沖縄に住んでいるんですよね。

高安 そうですね。もともと編集者ではあったんですが、沖縄で会社に入ってからは「クライアント」が求めるものを作る仕事をしていました。少ししてから「おきなわいちば」を担当することになったんです。「あ、雑誌が作れる!」って、その時はすごい嬉しくて。

藤田 僕は1985年生まれなんですが、最後の雑誌世代だと思っていて。というのは、雑誌をちゃんと紙として買いたい世代の最後あたりというか。

高安 わかります。

藤田 雑誌の編集の仕方が、演劇を作る上でもかなり影響を受けているんですよ。例えば、この順番でシーンを見せていくことが普通なんだけど、組み替えて編集することによって、このシーンがより際立つみたいな。だからシーンの展開や組み立て方など、雑誌から学んだことってかなり多いんです。「おきなわいちば」は、普通だったらそういう分かりやすく組み立てられるところをあえてちぐはぐにしてるというか。雑誌の中で扱われている物の質感が前に出るような編集をされている気がします。

高安 客観的に聞くと「そうなんだ」って逆に改めて思ったりしますね。私たちの普段の仕事は80%以上クライアントがいて、お客様が作りたいものを形にしています。広告の仕事などはみんなそうだと思うのですが、「この商品が売れるためのパンフレットはどうするのが良いか」ということをまず考えるんですね。それはそれでやりがいはもちろんあって、作ったパンフレットによって商品が売れたり、喜んでいただけたりすることは本当に嬉しいんですが、おきなわいちばは、自分たちがやりたいことを自由にできるというところがやっぱり違いますね。もちろん読者のことは考えているので、読者の方が喜んでくれる企画を考えたり、きちんと売れるものにしなくちゃいけないということも考えます。この辺りは演劇でも同じような葛藤あるのかな・・、と思うんですが・・。ただ、表現する自由さとか、日頃の仕事でなかなかできない部分があるからこそ、おきなわいちばでは、もしかしたら自分たちの「やりたい」という部分が結構出ているのかなという気はします。

藤田 「おきなわいちば」が面白いなって思うのは、絶妙に沖縄という土地柄ともマッチしているところだと思います。僕は北海道の田舎育ちなので、当時はファッション誌を眺めている時間というのは、東京にいたらこんな服が買えるんだっていう純粋な憧れの眼差しをその雑誌へ向けていたわけです。何ヶ月もかけて、雑誌を隅から隅まで読んで。とにかく、東京へ行けば、東京へ行けばという。ただ、僕が読んでいたファッション雑誌の中には、そのお店やお洋服のかっこよさは刻まれてあっても、その土地の質感が全くないんですね。田舎でいくらそれを読んでいても、憧れはするけどそこへ行った感覚がないんです。「おきなわいちば」がすごいなって思うのが、沖縄に流れている時間と雑誌の中に流れている時間がマッチしているところだと。例えば、沖縄に行った時って予定通り行かない時間ってかなりあるじゃないですか。グーグルマップでは1時間半だったんだけど全然2時間かかるじゃんみたいなこととか、このあとすぐ向かわなければいけないところがあるのに、ここでもう少し過ごしてみようかなと思う時間があったり。沖縄って良い意味でうまく行かない立ち止まる時間がある。そんな時間の流れや土地の質感が「おきなわいちば」の編集にはある気がします。

平良信実 撮影

高安 もしかしたら北海道とかもそうだと思うんですけど、沖縄はやっぱり観光ですごく推してる土地柄だと思うんですね。そうすると、空も海も青くなくちゃいけないとか、沖縄の人はみんな元気なイメージとか、そういう表現が多くなってしまう。でも、現実はそんなわけはないんですよね。食べ物も、例えば観光客のみなさんが行くようなところじゃない、沖縄のお母さんが作るものがものすごいおいしかったりとか。琉球料理はあんまり・・・という観光客の方の声を聞くこともありますが、でも本当に手間をかけて丁寧に作られたものはとてもおいしいんです。

藤田 観光では、ほんの一部分、或る一面しか知ることができなかったりしますからね。

高安 それが本当にもったいなくて。琉球料理を例に出しましたけど、本当の琉球料理ってすごく手をかけていて、下ごしらえの部分の手を抜くとすぐに味に響くんですね。そういう、沖縄の人たちが大切にしているところを、文章はもちろんなんですが、写真や空気感で伝えたいという想いがおきなわいちばは結構強いです。

藤田 本当にそうですよね、すごくそれが伝わります。この対談シリーズで、食に関わる人たちともたくさん話をしてきましたが、沖縄にはまだまだできることがいっぱいあるって思いました。TESIOの嶺井さんは、沖縄は古来から豚をさばく文化があるのに、ソーセージを製造することがあまり定着していなかったと話していたし。ジョンさんは北海道で食べるチーズより沖縄の方が気候的に合う、と話していたり。新しく沖縄に出会っていくと、沖縄という土地がやれることって、まだまだたくさんありそうだなあ、と。

高安 確かにそうですよね。

藤田 沖縄は、他の土地と比べて情報の広がり方、というか伝わり方も独特だなあって思う。島だからなのか、ミニマルで。そういう意味では、この規模で何ができるのか。それで、できたものをどう見せていくのか、考えやすそうだとも思いますよね。

高安 やっぱり小さいと言うか狭いのかもしれないです。離島もありますが、沖縄本島も南から北まで行っても全然1日で行って帰ってこれちゃいますから。おきなわいちばは、著名な方だけでなく、いわゆる一般の方も取材するんですね。だいぶ前のことですが、保存食の特集を組んだ時に、沖縄で保存食を作っている方々を取材したくて、そういう時はまずは自分の周りの人のお母さんやおばあちゃんなどでそういう方がいないか聞いていくんですね。でも紹介してもらっても沖縄のおばあちゃんって結構恥ずかしがり屋で、取材をされることを嫌がるんですよ。一度私が取材した方は、当時多分70代後半ぐらいの方だったんですが、最初お電話したら「たくさん作ってはいるけど取材されるようなものじゃない。見せられないから無理」ってお断りされたんですね。でもどうしても諦めきれなくて。

藤田 そこは1回下がったほうがいいとこですよね。食い下がるんですね(笑)。

高安 だってお話を聞いていたらすごい面白いんです(笑)。電話で1時間ぐらい話して、「とりあえず1回お邪魔させてください」ってお願いして家にうかがったんですね。そうしたら、ものすごいたくさんの保存瓶にいろんな保存食を作られていて、冷蔵庫も2つぐらいがタッパーでいっぱいなんですよ。

藤田 宝箱だな、それは。

高安 沖縄のいろいろなものを瓶詰めにしていて、テーブル中にいっぱい並べていろんなものをすごい食べさせていただいて、もうこれは取材するしかないよねってなるじゃないですか。それで粘ったら、載せるのはいいけど写真は嫌なのよって言われて。困ったなと思いながらも、保存食だけでも写真を撮らせてくださいってまたお願いして、カメラマンを連れてもう一度うかがったんですね。そうしたらその時には保存食だけではなくてお昼ごはんまで準備してくれていて、一緒に食べながら話をまた聞いて、料理しているところや一緒に食べているところを自然に撮っていって。そうしたら全然嫌がらないんですよね。結果的にとても素敵な写真が撮れて、最終的には掲載もOKいただいて、ご本人にもとても喜んでいただけました。

藤田 もしかしたら掲載させてもらえないかもしれない方にそれだけの時間をかけて関係を築くってことが、そもそも素晴らしいなと思いますね。

高安 時間をかけるんです、ものすごい。

藤田 時間をかけた先に何もなくなる可能性だってあるわけじゃないですか。それがすごい。

高安 (笑)。それがなくならないのが沖縄なのかもという気もしています。東京ではそんなことはできない気がします。線引きがもっとちゃんとしているというか。無駄になっちゃうと思うとできないですよね。

藤田 確かに。東京だとその感覚ではできないかもしれないですね。そうやって費やすことを会社があんまり許さないとかもあるかもしれないけど、その微妙なラインが厳密ですもんね、東京は。

高安 だから取材受ける方ももっと構えちゃうじゃないですか。そういう感じって沖縄の地元の良さかなって気はします。

藤田 今コロナ禍で家にいる時間も増えて、普段していなかった料理をしてみるとか、作り置きブームがきているって聞くし。でも、こんなコロナ禍にならなくたって、便利なものに頼るわけでもなく、時間をかけて自分たちの食を準備する人は、もちろんいましたよね。自分に置き換えたときに、その人たちがやっている日々のこと、食のことを少しでも自分の生活に取り入れて、そこに時間を使ってみるって、かなり豊かなことだなあ。

高安 本当にそうですよね。

藤田 「おきなわいちば」の写真って、例えば今の話だったら保存食の料理さえ写っていればよいのかもしれないけど、おばあさんの手元とかエプロンの着方がチラッと写っていたり、そういう空間が伴うものが写り込んでいるのがすごいいいなって思います。

高安 そのものだけを直接伝えるだけだと、情報だけになっちゃうと思うんですね。だからもっと余韻や空気感を伝えたいなって思っていて。新人の編集者に言うんですけど、一般の普通の方だと、うまく自分のこと話せなかったり、伝えきれない、言いたいことがうまく言葉で表せられない人ってたくさんいますよね。それをその場所に行ってお話を聞く中で、そこのお家だったりお庭だったり、その日の温度や湿度だったりを感じながら、その人の暮らしを伝える。報道系のインタビューでは余分な情報を入れずに伝えるって大切だと思うんですけど、私たちがやってることは、私たち編集者を通してその場所の空気みたいなことまで伝えることだと思っているんですね。

平良信実 撮影

藤田 空間性があるってことですよね。おきなわいちばをめくっている時間、「自分ってこのままでいいのかな」って感じることがあるんですよ。東京は情報の速度が早いし、僕も分からないことがあればスマホでどんどん検索してしまうし、ただただ情報が頭の中を右から左へ流れていくっていう感覚があります。それもそれでよい面もたくさんあるけれど、おきなわいちばを読んでいると、雑誌の中でとても独特な、しかも静かでゆったりとした時間が流れていたり、さっき言ったおばあさんの手元の写真を見たりすると、年を取っていく人がこの瞬間もいるっていうことが見える気がして。自分はこれでいいのかな、この速度のままでいいのかなって思ったりします。僕がいる現実とは違う空間がおきなわいちばには広がっている。

高安 そこは多分、全国紙ではない、地方の雑誌ということと、沖縄という島で作っているということが大きいのかな、という気がします。

藤田 それもある気がするんですけど、それだけでもないと思うんですよね。根本的に編集部のみなさんが、取材をする人からただ情報を聞き出すだけじゃなくて、その人が身を置いている空間/時間の全体に耳を傾けている気がします。

高安 とにかく丁寧な仕事がしたいという気持ちがあります。現実がどこまで伴うかという問題はあるんですが。もっと効率よくやれる仕事ってたくさんあると思うんですけど、結果さえ伴えば過程はどうでもいいってことではなくて、過程がやっぱり大切で、取材相手の方に丁寧に接したいし取材も丁寧にしたい。そうすると、やっぱり時間がかかるんですね。

藤田 その時間をなくしてしまったら、届くところに届かないですもんね。僕はもうずっと演劇を作っていますが、「物語」ってあんまり意味がない気がしていて。演劇における物語はもうこの何千年の歴史の中でやり尽くされているような気がしているんです。だから、今まで「物語」を出発点に演劇を作ったことがないんですよ。むしろ物語に全然関係のないような話の方を求めているというか。でも、一見関係のないような話を聞いていくと、自然と最終的には「物語」に繋がっていくんですよね。「物語」は作るものではなくて、待っているとやってくるものなんですよ。今回のこのおきなわいちばの対談企画でも面白いことがいっぱい起こりました。
クリフビールのクリフさんに話を聞いていたらTESIOというソーセージ屋さんの地下の話が出てきて。そこからTESIOの嶺井さんと出会って詳しい話を聞いていたら、これはこのまま戯曲になるんじゃないか……みたいな話を聞かせてもらって。ビールの話から、ビールに合うものはチーズだよね、チーズに合うものはソーセージだよねって繋がって。そして最後に、それら食品をのせるお皿(やちむん)の話ができて。人って関係ないところに身を置いていたとしても、自然と繋がっていくから、その感じがやっぱり面白いなって思うんですね。

高安 そうですね。繋がることは本当に面白いと思います。私たちも誌面で何回か人に焦点を当てて特集したことがあるんですが、人から人へと紹介してもらう「数珠つなぎ」という企画をやったら、やっぱり面白かったですね。この人からこの人に繋がる意外性や、その先にいる人たちの関係性なんかも。沖縄にいる人たちは、本当に面白いって思います。

高安夏子(たかやすなつこ)

「沖縄の食と暮らし」を発信する雑誌『おきなわいちば』編集長。東京都出身。1996年に沖縄に移住、海が見える場所に住みたいと、20年ほど前から南城市玉城に在住。沖縄県農林水産部の事業の一環で創刊した『おきなわいちば』には6号から携わり、それまで生産者よりだった雑誌の内容を「沖縄の普段の暮らし」を伝えるライフスタイル誌にリニューアル。旅と料理と猫好き。

おきなわいちば