Dialogue1

vol.1 宗像誉支夫(宗像堂 店主)×藤田貴大
おきなわいちば  presents対談シリーズ

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おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
おきなわいちば presents
対談シリーズ


「沖縄での営みをめぐる」

おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.1

宗像誉支夫(宗像堂 店主)×藤田貴大

藤田 宗像さんにとって朝の時間というのはとても貴重なものだということを、本を読んで知っているので…… その時間を僕と話す時間なんかにつかっていただいて…… 緊張しています(笑)。

宗像 もう僕の朝は終わりました。さっきまでパン焼いてました。

藤田 そうなんですね。ずっとお話したかったです。お元気ですか?

宗像 元気ですよ。久しぶりですね。

藤田 本当に、お久しぶりです。2019年に国際通りにあるテンブスホールに公演を見に来てくださった際に、お会いして以来ですね。

今年の10月に那覇市に新しく劇場ができるのですが、その劇場のこけら落としシリーズで僕の新作を発表する予定です。タイトルは「Light house」と言います。「light house」は灯台という意味なのですが、灯台って常にどこかへ向けて光を出してシグナルを送り続ける場所ですよね。ある意味「劇場」もそうだと言えるし、お店もそうだと思います。なので、沖縄でお店や場所を持っている人たちと話してみたいなと思って。

あらためて宗像さんの本を読んで、パンを作ることがこんなに大変なんだと思いました。偶然出会った方に酵母をもらって、その酵母を現在もかけ継いでいるんですよね。かけ継ぐということがあんまりよく分かってないのですが、実際にもらったものを自分なりに引き継いでいくってことですか。

おきなわいちばVol.7より 鬼丸昌範撮影
おきなわいちばVol.7より 鬼丸昌範撮影

宗像 酵母って、そのままにしているだけではパンの発酵で一番使いたいコンディションが保てる訳ではなくて、酵母の日々の変化に対応していくんですね。常に一番いい酵母をパン作りに使いたいので、「かけ継ぐ」。微生物の構成、いろんな種類の菌の熟れ具合などを調整して、良いコンディションに保っていきます。それを継続的に安定させるために「かけ継ぎ」っていう作業をしてるんです。

藤田 沖縄は、気候的なことでいうとパン作りにとっては──

宗像 難しいと思いますよ。温度とか湿度とかが。やっぱりコンディションを保つために管理が必要かな。沖縄にはパンを作るために必要じゃない菌もたくさんいますからね。

藤田 あと、本を読んでいて自分の体感としてよくわかるなと思ったのが、最初は食パン3個しか入らないような家庭用電気オーブンでパン作りがスタートして、やがてアメリカ人が手放したガスオーブンを譲り受けて10個焼けるようになったというエピソードで。ただ自分の手元にあるものが小さいものから大きいものに変わった感覚ってあると思うんですよね。劇場のサイズがどんなに大きくなったとしても、結局は自分の手の届く範囲で作品を作っていくしかないのだけど、ただやれることの可能性は拡がった。宗像堂は徐々に宗像さんご自身の手で実質的な規模を大きくしていく中で、やれることと自分のキャパシティの落としどころってどこに見つけるんですか。

宗像 パンを作る量は増えているんだけど、人に代わってもらってる部分も身体感覚としては直線上っていうか。自分の身体の範囲かなって思える部分を人に代わってもらってるので、キャパシティの落とし所といえば自分の手先の届いているところですね。スタッフが「パン作り」という僕自身の場に入って、「手」の感覚を持って仕事をしてくれれば、実質的には僕の手から離れていたとしても、僕の身体感覚の延長線上に入っていることだと思ってます。

おきなわいちばVol.7より 鬼丸昌範撮影

藤田 僕にとっては役者さんが宗像さんのいうそのスタッフさんのような存在ですね。役者さんはある意味で観客と僕の間に入ってくれるオペレーターだと思っているので。だから役者さんは作品のことを観客に正しく伝えるべきだし、作品を扱う時間の中で作品に対して他人事のような態度をされては困るんですよね。いきなり来て宗像さんのパンはもちろん作れるわけはないけど、宗像さんの手つきを知ろうとしているかどうか。その姿勢は本当に大切ですよね。

宗像 一緒に働くスタッフは「私を理解して」みたいな感じで来られると絶対無理です。どっちかっていうと、宗像堂が何なのかを知りたいっていう姿勢で来てくれないと。

藤田 その話、めちゃくちゃ面白いです。たまに遭遇してしまう「私を理解して」系の役者さん、いますよね。

そういえば、パン作りは6000年前ぐらいから続いているってことも言っていましたね。

宗像 最近わかったけど、もっと古かった。1万6800年前だって。3、4年前の論文で明らかになったのかな。化石から炭化したパンくずが出てきたっていう。

藤田 焼いてもいたってことですか。

宗像 そうです。焼いて真っ黒になった炭が見つかったってこと。小麦のままだと分解されて、残らないじゃん。でも炭になると化石に残る。パンはそれぐらい昔から食べてるものなんだよね。人口がものすごい増えていった理由になった。

藤田 人口爆発が起きた理由として、小麦が誕生“してしまった”からと聞いたことがあります。

古代小麦はどうなんですか。

宗像 古代小麦ってもともと乾燥した土地のものなので、沖縄みたいな湿気が多い気候に合う小麦にするためには日本の品種と掛け合わせて作る必要がありました。僕らとしては、こういう試験栽培をやり続けようと思っています。「在来種」って呼ばれているものにだって、誰かの意思があって今に伝わっているわけなので、僕らの意思で栽培をやり続けている小麦が100年後までみんなが気に入ってくれるものとして伝わっていたらすごいなと。

藤田 1万6800年前の話もそうだけど、その100年後という話も、すごい話ですよね。どちらも僕らは生きていない。その、自分の身体はもうそこにはない時代のことを想像しながらパン作りをしているって、いろんな意味で響いてきますね。宗像さんの手で作ったものが、実際には出会うわけもない未来の人たちの胃に入っていくっていうのはかなり独特な感覚だと思います。

宗像 物を作るときにそれぐらいイメージしてやらなくちゃ。長い時間価値があり続ける物ができたらいいなあと思ってやっているし、だからこそ人から人に伝えたくなっちゃうのではないかなと思います。

藤田 演劇というのは無形の物だと思っていて。例えば本というのは紙という物質だから100年後まで残って100年後にその本をめくる人がいるかもしれない。でも演劇は形には残らないものだから、上演時間で始まり終わるだけ。そこがいいなと思って演劇を選んでいるんですけど。宗像さんの話を聞いていても、パンとか小麦とかって形があるものだけど、形があった途端、やっぱりすぐ無に戻るものでもあるなと思って。

宗像 食べてなくなっちゃうのがいいよね。パンが出来上がって人の胃袋に入るという一連が、もう全部な気がしていて、例えばいい感じの物が出来て、人に食べてもらえられたら、間違いなく人を元気にすることが出来るだろうし、それって、勝手だけど人に影響を与えられてるんじゃないかと思う。演劇も一緒だよね。

藤田 宗像堂に行ったときにいつも思うのが、お店で配置されているパンに簡単に触れられないな、って。綺麗すぎて。パンひとつひとつもそうですが、並べ方というか。このことを完璧というのだなあ、と。何よりお店という空間に良い時間が流れている。そういう部分を見ちゃうんですよね。宗像さんがパンを作った後のことまでデザインしているから成立しているんだろうな、と。

それと、場所のサイクルを考えた空間作りもとても面白いと思うんです。外人住宅を改装する時に、その現場にあった廃材を使用してサイクルを考えたという。でももっと遡ってみると、元々その場所には「アメリカ」は存在しなかったわけですよね。沖縄ってそういう部分が混在している。

宗像 沖縄には受け入れられる力強さがあるよね。沖縄の人って壁がないんだけど、自分の中心の部分は最終的には譲らないような強さがあると思う。人当たり良いし、外からの物を受け入る感じがあるんだけど、更に先に入れてくれるかどうかは、長い付き合いが必要だと思う。色んなものを受け入れつつも、自分たちらしく。だからいつまでたっても、僕は沖縄人にはなれないです。それがいいんじゃないかな。

藤田 宗像さんに見ていただいた「cocoon」(漫画家・今日マチ子が沖縄戦に動員された少女たちをモチーフに描いた作品を、2013年藤田が舞台化。2015年に沖縄公演が実現した)を取り組むといっても、沖縄に住んだこともないし、生まれ育っているわけでもないので、そういう緊張感は常にありました。でも、沖縄にルーツがある人しか沖縄のことを扱ってはいけないというのも違う気がするんですよね。沖縄を自分の身体に通して作品にしたいと思うくらいの感情が僕の中にあったということだし。その上で沖縄に足を運びながら、具体的に考え続けているだけなので、そこに内も外もないと思うんです。同時に、沖縄の外側から沖縄を見つめるというのも重要だと感じています。宗像さんたちの営みにはそういうバランス感覚が伴っている気がします。

宗像 どんなに長い時間沖縄にいたとしても沖縄人にはなれないんだっていう自覚がすごい大事な気がします。僕らの子どもたちは沖縄に生まれて、沖縄で育ってるから、自分たちが感じたようにやればいいと思うけどね。でも僕らはこの場所で「やらせてもらってる」みたいな感覚が今でもあるし、そのことを尊重したい。

藤田 沖縄では様々な状況が独特なスピード感でめまぐるしく変わり続けているようにも思うし、その中で変わるものと変わらないものが引っ張り合っているような気もするのですが、「変わらないもの」を作るっていうのはどういうことだと思いますか。

宗像 わざと「変わらないもの」を作るのもいいかなと思って、状況が変わってく中でそういう存在があった方がより面白いと思う。今回コロナ禍になったばかりの頃は、いろんな流通が止まるんじゃないかという危惧がありました。沖縄の場合、流通が止まると食べるものがなくなっちゃうんですよ。それってよくよく考えると日本自体がそう。まわり全部海だし、食べるものをほぼ外に頼っているから。だから今回初めて結構まずいってリアルに感じて、ちゃんと自給できるように作ろうって思いました。

藤田 確かにそうですよね。そんな中で自給できる小麦を作るっていうのはすごいことですよね。

宗像さんのお仕事って何時間もその一点を凝視する仕事でもあるじゃないですか。観察を続けて、時間をかけて──

宗像 観察して発見するのが一番好きかもね。凝視っていうか、定点観測だな。なんだろう、変わっていく状況に合わせてよりおいしいコンディションにしていくってことが楽しいのかな。そこでは「もっと分かるようにならないと」って自分の世界を広げざるを得ない。そのために外に向かって自分にとって新しいと思うことを拡張させていきたいと思うんだよね。

藤田 宗像さんは、人に対してのことのように話しているけど、菌のことですからね(笑)

宗像 なんだろうな。ものじゃないよね。パートナーって感じだと思う。ほんとこの酵母すごいなって。酵母自体の菌が減って、他の菌が増えてたら味として保てなくなってくるので、酵母を足さなければいけない。どれぐらい酵母が減ったときに、どのタイミングでこれぐらい入れようかなとか。データもあるけど、データにしちゃったときに手からはなれると思ってるからほぼ感覚的にやってるかな。

藤田 データにしちゃった時点で、これでいいよねって止まってしまうということですよね。

宗像 窯で言うと、温度計をつけた瞬間に、ただの数字に置きかわっちゃう。でも窯ってさ、窯全体として持ってる気配みたいなのが宿るわけだから、数字というものはほんの一部で、数字にした瞬間に99%消えてなくなる。そんな気がしています。

藤田 それはもう、絶対にそうですね。誰かにわかりやすく伝えることが役割ではないですからね。テクニカルスタッフとのミーティングでは数値で話したりもするけど、結局現場に入って初めてわかる音とか光の感覚的なレベルでしか話せないから。数値化出来ないことを演劇もやっているような気もします。今ちょっとゾワッとしたのは、窯全体が持ってる気配という言葉がすごい。マジでわからないけど、すごい言葉だ。

宗像 スタッフには気合いで理解しろっていいます(笑)。頭が動いてない状態でも体が反応している状態が必要だなと。

宗像誉支夫(むなかたよしお)

沖縄県宜野湾市にあるパン屋「宗像堂」店主。福島県郡山市生まれ。琉球大学大学院で微生物の研究を行う。卒業後、陶芸家の弟子を経てパン作りに出会い、パンを焼き配達するスタイルでパンを生業にするようになる。その後、現在の場所に店舗を構え、宗像堂をオープン。

宗像堂
沖縄県宜野湾市嘉数1-20-2
10:00-17:00
水曜定休
098-898-1529