Interview

vol.6 <small>2022年4月26日更新<small>
藤田貴大インタビュー

Interview

「沖縄を描くこと」
聞き手・構成:橋本倫史(全6回)

藤田貴大インタビュー
聞き手・構成: 橋本倫史


「沖縄を描くこと」

『沖縄を描くこと』 vol.6
聞き手・構成: 橋本倫史

2022年4月26日更新

沖縄から得たモチーフで新作『Light house』を描くことを通して、演劇作家・藤田貴大が感じたことを聞くインタビューシリーズ。まずは、本作を描くにいたるまでの、沖縄との出会いや『cocoon』(2013年初演/今日マチ子原作)を通じて起こった出来事などを振り返って話してもらいました。

今回が最終回となります。

(全6回を予定 /4月17日収録)


沖縄での“フィールドワーク”

――『Light house』は、藤田さんが沖縄と関わり始めて10年が経ったタイミングで制作された作品です。ただ、これまでの10年は『cocoon』が軸だったから、那覇空港について南に向かうことが多かったと思うんですね。今回は視点が反転するように、沖縄本島北部にもフィールドワークで足を運ばれています。そこは創作にどう影響しましたか?

藤田 ひとつはやっぱり、水納島が大きかったと思うんです。改めて地図で確認すると、僕の頭の中にあった地図よりもずいぶん北に水納島があって。原田郁子さんやあっこさんの存在もあったし、水の地図を見ると水の出どころが北部だったから、これは行かなきゃなと思ったんです。「灯台」(Light house)って言葉で僕がイメージするのは喜屋武岬の灯台だったんだけど、北部を巡ることでそのイメージがブレたり入れ替わったりするかなと思ってたんだけど、やっぱり自分の中では喜屋武岬の灯台が大きくて。だから『Light house』でも、最終的に北部から南部に物語が行くってイメージがあって。南部は自分に染み付いているものがあったから、良い意味でも悪い意味でも書けちゃうことがあるので、行ってみないと書けないなってところに行きたかった感じですね。

2015年に訪れた水納島/撮影:橋本倫史

――北部には実際に足を運ばれてますけど、オンラインで誰かと話す企画も含めて、今回は「フィールドワーク」という言葉を用いられていて、僕は最初、ちょっとそこに違和感があったんです。それは、現地に足を運ぶか否かってことよりも、話を聞きたい誰かと出会えるように彷徨うのがフィールドワークだと、僕は自分の職業柄思っているからなんですね。ただ、完成した作品を観た今ではちょっと腑に落ちたところがあって。これまでの「新作」は、藤田さん自身の言葉が高い純度で描かれていたのに対して、今回は誰かの言葉が作品の随所に配置されていますよね。

藤田 それで言うと、むやみやたらに沖縄に行って一人旅することが正しいとはそもそも思ってなくて。それに、「本当にその土地のことを知りたければ住むしかない」と言われたら苦しいし、終わりなんだけど、そこに住んでる人しかその土地のことを描いちゃ駄目っていうのもおかしいから、自分の距離感で何を捉えて、何を編集するかだと思うんですよね。今回はやっぱり、自分で足を運んで出会うっていうよりも、いろんな人の言葉を聞いてみたかったのもあるし、本もやたらと読んだんですよね。その感じっていうのが、マームとしても新しいことだなと思うんです。たとえば『てんとてん〜』でもそうだし、『BOAT』や『CITY』もそうなんだけど、自分の頭の中にある台詞しかないんですよ。でも、違うところにも言葉があって、「こういうことを言っていた人もいる」って、耳の澄ませ方の解像度を上げたい時期なんですよね。沖縄で営みをしている人たちの言葉を聞いてみて、「ああ、そういうこともあるのか」とか、「僕と考え方は違うところもあるけど、この言葉はきれいだな」とか、誰かの言葉に出会いたいっていうのが今のモードなんだと思います。

――『Light house』と合わせて、ワークショップも開催されてましたよね。ここ1年で言うと、いわきや京都でもワークショップを経て公演をされてますけど、沖縄でのワークショップはまたちょっと違ったアウトプットだったという感じがします。

藤田 いわきと京都でやったワークショップについては、ひとりひとりが話してくれたことを抽出しなきゃいけないって仕事でもあって。それはそれとして、今回はワークショップはするけど、全員の言葉を『Light house』に反映しようとは思っていなかったんです。ただ、その中でも又吉さん(出演者の又吉美輪さん)に会えたのがよかったなと思っていて。これは全然沖縄のフィールドワークとかじゃないんだけど――しかもそれは、Zoomのワークショップで又吉さんが僕に話してくれたことじゃなくて、又吉さんが青柳に話してたのをあとから聞いたんだけど――その話っていうのがジェペットじいさんの話だったんですよ。

撮影:岡本尚文

――劇中で又吉さんによって語られる、「小学校の学芸会のとき、ジェペットじいさんの役に手を挙げたんだけど、先生が『女の子でやるのはちがうかなあ』って言い出して、結局波の役をやることになった」ってエピソードですね。

藤田 そうそう。それが僕の中では沖縄の話になって――それは大きかったですね。

語られることのなかった言葉を想像する

――さっきの“フィールドワーク”とも関連しますけど、今の話が印象深いのは、藤田さんにとっては「誰かの言葉と直接出会うのは、別に自分じゃなくてもいい」って感覚が今あるんだと思うんですよね。その言葉を最初に聞いたのは青柳さんであっても、青柳さんからその言葉を伝え聞くことで、そのインスピレーションを得ることができる。本に書かれた誰かの言葉というのも、自分が直接経験したものではなく、間接的に触れる言葉で。これはきっと、『cocoon』をどう上演するかってことにも繋がる話だと思うんですよね。自分が直接経験していない出来事に、自分が直接聞くことができなかった言葉に、どう手を伸ばせるのか、どう出会うことができるのか、と。

藤田 その質問に答えるのはすごく難しいんですけど、「本を読んだからオッケー」とか、「資料館に行ったからオッケー」とかっていうのは、もうないんですよね。それと一生付き合っていくときに、自分がどういうまなざしを持って、その人たちの声に耳を澄ませるのかってことだと思うんです。あと――そう、最近は、この人に話を聞いたとき、この人が言っていないことを想像するようになったんです。この人が言っていないことのほうに、もっと真実があるんじゃないかって。『cocoon』に限らず、この10年で「自分の物語にはできないな」って街といくつも出会ったことで、自分がどうかってことよりも、人の話を聞かなきゃって感覚にどんどんなってきたんです。

――自分の物語にできないっていうのは、その土地が抱えていることを考えたときに、その土地のことを自分の想像するフィクションとしては描けないっていうことですね。

藤田 そうすると、人の話を聞くことへの解像度が高くなっていく。もちろん、その土地に足を運んでこれを飲むとか、これを食べるってことも重要だし、風景を見ることが作品に反映されるってことももちろんわかるんだけど、今はそれよりもこう、この人が言ったことと言わなかったことみたいなことを自分の中で精査していくっていうのが、新作に繋がることなのかなと思っていて。

――やっぱり、誰かに話を聞いたとき、すべてを話してもらうことって物理的にも不可能ですけど、パッと話を聞こうとしただけではどうしてもたどり着けない、語ってもらうことができない言葉ってありますよね。それに、藤田さんの作品の中でも、言葉のなさというのはここ数年テーマとなっていることでもあると思うんですけど、語られることのなかった何かに対する想像が膨らんできているところがある?

藤田 そうですね。これまではあんまり、自分のことを劇作家だと思ったことがなかったんですよね。作家だとは思ってるし、演劇を作る人だとは思ってるんだけど、劇作家って何なんだろうな、って。世間から見たら僕も劇作家だと思うし、世間とか関係なく劇作家だと思うんだけど、小さい頃から「劇作家って変な人たちだな」と思ってたんですよね。「それってどういう欲なんだろう?」って。劇作家として登場人物を描くとき、その登場人物が自分の範疇にあると、結局同じような人物像にしかならないと思うんですよ。だから、まったく自分とは違う考え方を持っているってふうにも描くんだけど、それを突き詰めていくと悪者を描けるようにもなる。そうやってどんどん自分から離れたキャラクター像を描ける劇作家もいると思うんだけど、僕の劇ってあんまり悪者がいないんですよね。これが正義だってこともないし、この登場人物がヴィランだってこともなくて。『CITY』ではそれを描いたつもりではあったんだけど、微妙にわからない部分があって。自分って範疇に留めておきたいこともあるんだけど、それだけだとずっと藤田作品になってしまうから、そのトーンから脱したいって気持ちもあるんです。自分から突き放すためにも、人の言葉が必要な気がするし、自分にはわからない感覚とどんどん出会っていきたいって気持ちが率直にありますね。

ひかりが届いているように

――最後にもうひとつ聞いておかなきゃと思うのは、『Light house』のラストの台詞のことで。ラストの台詞を語るのは青柳いづみさん演じる“みなと”ですが、沖縄公演と東京公演とでテキストが大きく変わりましたよね。沖縄では「もうすこしで、、、夜が明ける、、、、、、」だったところから、東京公演の初日では「ひかりが、、、ひかりであることに、、、、、、拍手なんて、、、、、、」となって、最終日には「けれども、、、ここまで、、、、、、ひかりは、、、、、、 とどいていた、、、、、、とどいて、、、いる、、、、、、」と変わっていきました。東京公演でのラストの変化というのは、休演せざるを得なくなった期間を挟んで変わったんですよね?

藤田 たしかに、なはーとの初日からシアターイーストの楽日までに、ずいぶんテキストは変わりましたね。そう――休演がつらかったですね。コロナで結構ぼこぼこにされましたけど、休演になっているあいだに、童話(4月25日発売の『飛ぶ教室』69号所収の「しずくとなみだ」)を書いたんです。最初はまったく違う話にしようと思ってたんですけど、今は『Light house』のことしか書けないなと思って、『Light house』を童話にしたんです。それを書いてるときに、ほとんど自動的に、「ひかりが届いている」って言葉を書いたんですよね。それはちょっと、数日経っても不思議だったんですけど、そう書かないといけない気がしたというか。

――そう書かないといけない?

藤田 童話ってこどもに読むものでもあるから、たとえ届いていなかったとしても、「届いている」ってことを嘘でも書いておかなきゃいけないっていう、祈りのような気持ちだったんですよね。ひかりが届いているかどうかなんて人それぞれだし、届いてない人もいるかもしれないけど、少なくとも僕には届いているし、だからあえて困難な作品作りをやってみたってことを言っておかなきゃなと思ったんです。それで休演後に役者とも話して、やっぱこういうふうに変えたほうがいいかもねってなったんです。もしかしたらその台詞を聞いて、「藤田君は全然わかってないよ」って言う人がいてもいいんだけど、いたんだとしても、僕にはひかりが届いているってことにしておかないと駄目だと思って、あの台詞を書いたんです。