Dialogue1
「沖縄での営みをめぐる」
対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.9
天久七恵、松田萌(tou cafe and gallery料理人、彫金デザイナー)×藤田貴大
藤田 僕の自宅の食器、100%やちむんなんですよ。好きで、沖縄へ行くたんびに買い集めてて。ついにこのコロナ禍で、100%そうなったと思う。そうじゃない食器はほとんど捨てました。なので、今日はついにやちむんに携わるお二人とお話しすることができてすごく嬉しいです。
七恵 ありがとうございます。嬉しいです。
藤田 tou caféは、松田米司さん(七恵さん、萌さんの父であり読谷山焼 北窯のやちむん陶芸家)の意思で始めたものなんですよね?
七恵 そうですね。父は自分が作った器を誰も通さず自分で売りたいとずっと思っていたみたいで、始める前はもっといろんな構想があったんですけど、現実的な状況をふまえて、今のような形に至ったという感じです。最初から自分が作って自分が売る、というか家族で仕事ができたらいいなと話していましたね。
藤田 着想の段階から「家族で」というのが念頭にあったんですか?
七恵 父は、家族で何かそういうことができたらって思っていたみたいです。うちはきょうだいが全部で4人いるんですが、一番上は長女で、別のお仕事をしています。その下に私、弟、妹なんですが、きょうだい全員を見た時に「やるなら七恵かな」みたいな感じだったみたいで。
でも私は最初はちょっと断っていて。コーヒーとかお食事とか、お皿だから食にまつわるものになっていくと思っていたので、人の身体に入る商品は自信がないですって。アルバイトでコーヒー屋さんで働いてたことはあったんですが、専門的に料理の勉強をしていたわけではなかったし。
藤田 じゃあお店を任されて、営みを始めるまでに時間がかかったんですね。
七恵 かかりましたね。最初はフワッと聞いてくるんですよ。大学3・4年生頃から、就職しようかどうかのタイミングで。ちょっとどうかなって言いながら。でもNOって雰囲気を出すと静かにするんです、父。で、私が忘れた頃にまたちょっと言ってくる。忘れさせてくれないんですよ。どれくらい本気で考えてるんですかって父に真剣に聞いてみようと思って。すると、すごいやりたいんだなっていうのがあったので、じゃあやります、って決めて。
藤田 そうなんですね。もちろんのことですけど、tou caféができる前も米司さんのお皿は、どこかのお店では買えたわけですよね。でも、tou caféという営みを始めるということは、どこかで買える/どこでも買えるというムードではなく、ここでしか買えない/出会えないという、新しいイメージを持ったということだと思うのですが──
七恵 そうですね。単純な売り上げっていう、現実的な部分も大きかったと思いますよ。焼き物は卸値が低いんですね。
藤田 なるほど……そういうこともあって、なんですね。
七恵 低いと言うか、これは歴史も少し関係してくるんですが、昔沖縄では焼き物屋は、身分がとっても低かったらしいんですね。それもあって、やちむんの値段はかなり安いみたいなんです。でも、技術は本当にレベルが高くて。父はやちむんを何十年も作ってきて、自分たちで作ったものを自分たちで売るという、やちむんを中心にして生活ができるお金の「流れ」を作りたかったと聞いています。家族の仕事をそこに据えて、家族でひとつになって一緒に仕事をしていこうとしていたというか。
藤田 「tou」という名前もいいですよね。問答ですよね。問うと答え。
七恵 そうですね。
藤田 家族という単位で、作る/売るという流れを考えているところに、まず唸りますね。業者を挟まず、家族と自分の手の届く範囲で営みを始めようという。なんか、すごくかっこいいなあ、って思います。
七恵 父は自分でものを作り始めてすぐに、お店を家族でする、というスタイルにピンときていたみたいです。
藤田 米司さんはやちむんを関わり始めて、もう30年近くになるんですよね? こないだ初めてやちむんを焼く窯を見たんですが、僕がイメージしているような窯じゃなくて。なんかもう、お家みたいな規模だった。
七恵 そうです、そうです。県内最大で、本当にとても大きい窯で焼くんですけど、迫力ありますよね。
藤田 tou cafeに行った時にとても感動したのが、塀があったことなんですね。塀があるから外からは内の全貌は見えないんですね。だからこそ、その塀を通り抜けた瞬間に視界が広がって、庭のスペースや建物の配置の抜けがよくて。
七恵 ありがとうございます。今おっしゃってくださった広がりは、設計士さんが私達の思いを汲んでくれて、デザインしてくださいました。
藤田 少し話は変わるんですが、七恵さんはカフェの看板メニューのカレーをどのタイミングで習得したんですか?
七恵 カフェが建つ前ですね。外に修行に行きました。何より先にまずはカレーの修行を始めました。
藤田 (笑)。建物が完成しちゃってからでは、どうにもならないですもんね。
七恵 そうですね。カレーを学んだのは、長崎にいる父の焼き物仲間なんです。その方は喫茶店をしながら沖縄に焼き物を学びに来ていた方です。
藤田 逆輸入したんだ(笑)。そういえば、お店に入ってすぐのスペースに、萌さんの作品も配置されていましたね。米司さんの作品が販売されているtou caféで、ご自身の作品も販売するというのは──
萌 私はジュエリーやアクセサリーを製作しているので、銀などをちょっとでも使うと単価が高くなってしまうんです。だから、自分の作品が父が作ったお皿よりも全然高い値でカフェに置かなきゃいけなくなってしまう。そこは本当に恐縮してます。
藤田 でも行った時に思ったんですけど、萌さんのジュエリーが置かれてあることで、あの最初の空間の風通しがとても良くなってる気がしたんです。やちむんって、民藝でもあるじゃないですか。人々の生活の中で使用する道具としてのやちむん、伝統や風土を守る意味合いも役割としてはある中で、時に作品としての新しさを求められるやちむんもあると思っていて。それらは、それぞれ担っている質量みたいなものが多分全然違いますよね。tou caféはその両方のよいところがとてもよいバランスで配置されていると思ったんです。あのバランス感覚って、萌さんが製作している作品やアジアン雑貨が置かれているあの最初の空間があることで演出が始まっている気がしたんです。だから、一番奥のやちむんがずらっと並んでいるスペースに行っても、その迫力に違和感がないというか。
いろんなところにやちむんが点在していて、しかもいちいち洗練された配置で驚きました。まるで現代美術を見ているみたいな錯覚もあって。壁のモルタルとやちむんの相性もかっこいいなって思って。むかしからの伝統に重きを置きながら作られたものが、どう配置されるかでこんなにも新鮮に生まれ変わるんだなあ、と。そこまでのことを、米司さんは計算してたのかと思うと恐ろしい……
萌 ギャラリーのかたちはもう計算されてはいて、棚の配置とかは。
七恵 焼き物は置き方によってはスタイリッシュになるというのは、父が海外で展示会をした時にすごいぐっときたことがあったみたいで。それで、その時に「多分こうできる」って思ったのかもしれないですね。
藤田 なるほど。そういう体験があったということですね。やちむんはもちろん、もう最初から最後まで全てが伝統だと思うのですが、模様とか装飾、色の使い方とか、その技術を身につけた先にどうやって自分のオリジナリティをその伝統とブレンドしていくんですかね?
萌 そうですね。オリジナリティももちろん大事ですが、最近では続いてきた伝統を後世に繋げることが、最大のミッションのようですね。
藤田 そうか。オリジナリティに繋げたいという前提はなくて、まずはとにかく伝統や技術があるということですよね。でも、tou cafeには、本当にこういう言い方はあれなんですけど……あくまで、僕から見たときに、いわゆる「やちむん」というイメージから良い意味で離れるような……無地というか、模様が入っていない「やちむん」らしくないやちむんが置かれてあって。ああいうのを見ると、「やちむん」ってどういう世界なのかと改めて興味が湧くんですよね。
あの作品はどういう位置付けなんだろうと思ったのですが。
七恵 そのタイプはお店ができたときに、父にお願いしたものですね。
藤田 七恵さんから?
七恵 そうです。今まで日々の仕事に追われてできなかったけど、父に好きなもの、作りたいものを作って欲しい。それをお店で出そうという話になった時、真っ黒なお皿をお願いしました。
藤田 それを作りたいって米司さんが言ったんですか?
七恵 言ったというか、焼き上がってきたのがそれでした。
藤田 かっこいい……
七恵 でも沖縄のマンガンを釉薬に使っていて、伝統的な釉薬とか作り方がある上で、父自身のオリジナリティが入った感じでした。自由な作品だけれど、決して沖縄は切り離せないというのが、私は面白いと思います。
藤田 真っ黒なお皿、今度行った時に絶対に買いたいです……
七恵 父が最初に黒いマンガンシリーズをやってて、また2度め焼き上がってきたものを弟の健悟(※)が引き継いで。
藤田 七恵さんや萌さんがこういうものを作ってほしいというオーダーはするんですか?
七恵 はい。あれもう1回とか。こんな感じとか。
藤田 12cmの方が売れているとか、もうちょっと大きいほうが売れるとか、そういうリアルな話も──
萌 売れてないとかは……なかなか本人に言う人はいないから。
藤田 いつかの健悟さんのインタビュー記事にも書かれてあって印象的でしたが、湯呑みが売れる時期とか。季節によってどういうのが売れるとかも──
七恵 集中的にっていうのはtouではハッキリとわからないけど、一時期急に尺皿欲しがる人が増えるとか。尺皿ありますかってよく聞かれるなあとか。
藤田 尺皿がいきなり……
七恵 そうですね。今尺皿の時期なのかなとか。唐草の模様のものが動くとかマカイにしろ皿にしろ。
藤田 やっぱり、傾向があるんですね。このコロナ禍で、求める人が多くなったというのはあるんじゃないですか? 僕もその一人ですが。
七恵 そうですね。おうち時間とか。
藤田 増えるとやっぱり、視点がキッチンや食卓へ?
七恵 ネットショップも動くようになったりしてて。
藤田 もう、聞いているだけで物欲が破裂しそうです……tou caféでは「やちむん」でカレーが食べることができて、コーヒーも飲める。奥では「やちむん」を売っていて。tou caféという場で一つのサイクルが生まれている。 美味しいものを食べる/飲むという行為の先にやちむんがあったり、トイレへ行くと一輪挿しとして使われていたり、言葉じゃない部分で、やちむんの見せ方や使い方、生活や日常への馴染み方を提案してくれているのが、すごくうれしいですよね。
買わせる技術高すぎて。こないだは数人で伺ったんですが、時間が経つに連れて、みんなの手もとにある購入したやちむんの数が増えていって……良い意味で、悪い買わせ方をしてくる(笑)。
七恵 嬉しいです(笑)。
藤田 本当すごいなあって思いました。あの、建物全体通して。物を作る人はみんな真似した方がいいと思うけど、これは真似できないですね。窯があって、お父さんが守ってきたものがあるからこそ、実現できるのだと思います。
七恵 確かに、そこは一番の強みですね。tou cafeは売り手と作り手がすごく近い距離にいるので、作り手の思いをダイレクトにお客さんに伝えることができるし、こういうのがあったらいいなってお客さんが言ったことを、ご要望に100%お応えできるかはわからないけど、でもその言葉も作り手に伝えることが出来ます。
藤田 さっきの話に戻りますけど、自分の手の届かない売り場に作品を卸していると消費者の顔も見えないですもんね。七恵さんと萌さんがお店にいて、米司さんも毎日は来ていないにしても、たまに来た時に自分の作品が誰かに買われていく場面を見ることができるのって、とても感動的なことですよね。
七恵 そうですね。作り手としても嬉しいと思います。
藤田 作品というのは、作家の手から直接手渡されるものだと思っています。だから、演劇ってすごくシンプルなんですよね。「上演時間」があるから。僕が作った演劇を見に来てくれている観客の顔が、劇場の中に身を置きさえすればだいたいわかる。
物理的に在るものってどこまでも歩いていけてしまうというか。七恵さんがさっきおっしゃっていた人の身体の中に入れるものを作るのが怖かったという感覚、とてもわかるんですよ。食器というのも、誰か知らない人の生活まで潜っていけてしまう──萌さんが製作するアクセサリーなんて、なおさらですよね。人の肌にいちばん近いところに身につけられて存在するものを作っているという迫力。演劇には、それが無い。観客は僕の作品を物理的に持ち帰ることはできない。記憶にしかならない無形のものを作って、売っているという自覚があって。だから演劇は、知らない誰かの家に持ち込まれないという安全さもあると思うんだけど。お皿を売るということは、知らない誰かの台所に、生活に、米司さんの作品が持ち込まれるということだし、それこそ七恵さんが作ったカレーも誰かの胃袋へと入っていく。その感覚が、演劇を扱っている僕にはわかるようでわからないんですよ。どういう感覚なんでしょう──
萌 演劇はその場限りの空間を作り出すというところが良いなって思って。でも私にはできないなって。私は内にこもってこもって、だから父と同じような分野ではあるんですけど、いくらでもやり直して、自分が納得したものを人に見せるみたいな。そのやり方がすごい安心できていて。だから演劇とかライブとかコンサートとか、間違えられない空間というか、丁寧に1秒1秒進めないといけないっていう感覚がすごいと思います。
藤田 萌さんが以前やられた個展で、観客にガムを配ったりしていたというのをなにかの記事で読んだのですが、それって今の話でいうと、感覚とか感触みたいなものへの追求の仕方がすごいですよね。
萌 その時はテーマがガムで、金細工研修を受けてすぐの個展でまだまだ半人前ぐらいの時期だったんですが、消費される側になるっていうのがテーマにあって。
藤田 噛み砕かれるとか、誰かに繰り返し噛まれていく。
萌 はい。アクセサリーもそんなにバンバン買うものではなくて、1度きりの関係かもしれないな、というか。
藤田 なるほど。それはそうかもしれないですね。ガムって、もちろん1度きりですもんね。噛み続けられるわけでもないし、路上にぺって捨てられるものかもしれない。やちむんに描かれる模様とかも、実は無形物というか──形を作って表す人さえいなければ、そもそも形ではなかったものだったりすると思うのだけど。水とか、雲とか、時間とか。萌さんの話にもあったように、1回性があると思うんです。人生の中で、tou cafeに行けるのも1回限りかもしれないし、繰り返し来る人もいるかもしれないけど、その1回の時間はやっぱり1回だけじゃないですか。同じカレー食べてても昨日食べた美味しいと今日の美味しいは違ったり。そういう1回限りみたいなことって、その空間を営んでいく上で考えたりはするんですか。
七恵 1回限りの空間っていうのはあまり考えたことはなかったかもしれないです。ものに関してはずっとあるというか。特に焼き物は、1回焼き締められているので燃えて灰にはならないってインプットされていたので、焼き物は何千年も前からある土器みたいにずっとあるというイメージだったんですが、藤田さんの話を聞いたら、確かにその場限りのものになるかもしれないと思いました。面白い。新しい見方ができます。
藤田 あ、でも、那覇のやちむん通りで、昔窯だった場所があるんですけど。そこにやちむんの瓦礫がバーっと置かれているのを見た時に、陶器って割れてもずっと形は残るんだなとか思ったりもしました。もしかしたら100年後の人が米司さんのお皿を使ってるかもしれない。僕らの寿命なんてなくなってしまった先で。200年後の人が萌さんのジュエリーをアンティークだの言って大切にしている可能性があるわけだから、そう考えるとすごいですよね。物と時間の関係は。
七恵 ありえるってことですもんね。ありえないことはない。
藤田 tou cafeに1回だけ行って買った器を何十年も使うかもしれないから、そういう意味では1回限りではないし。日常はずっと続くわけだから。器を売るということは、時間を売っているに等しいんだなあ、って。
七恵 買ってくださったお客様の台所とかいろんな場所にこう、小さいツボを買ってトイレに置いてあるかもしれないし、寝室にあるかもしれないし、そういうどこまでもいくっていうこと考えると怖くなったりもするんですけど。父がよく違和感のないものとか、買った人のモノになっていってほしいとよく言っていて。俺が作った、っていう器にはなりたくないというか。
藤田 ああ、わかるし、すごい話だなあ。
七恵 なのであの、ネットショップとかで買ってくださったお客様に一言書くんです。お選びいただいたうつわが生活の一部になれますようにって。生活の一部って自分の一部になるじゃないですか。作家が好きで買う方もいらっしゃるとは思うんですけど、でもやっぱり毎回ワクワクして器を選べない日もあると思うので、楽しい時もちょっと落ち込んだ時もサッて出せる器。
藤田 それが一番むつかしいデザインですよね。
七恵 違和感なくパッて出してご飯を盛って食べてっていう、そのいちいち気持ちを動かさなくても手にとってしまうっていうのが一部なのかなって。生活の一部になれますようにって思えているのは、やっぱり父が「俺が、俺が」ってしている器を作ってないってことに安心を覚えているので、自信を持ってというか、お客様のそういう深いところまで器をお委ねしますっていうイメージで販売しています。
藤田 名前なんてわからなくてもいいかもしれないというデザイン──僕がよくお仕事をご一緒しているブックデザイナーの名久井直子さんが同じようなこと言っていました。本が売り場に並んでいる時は売れることが前提にありつつも、購入されて知らない誰かの本棚に入った瞬間に、そこへ溶け込んでどこにあるのかわからなくなるくらいのデザインがしたいって。最終的には、作品から発される主張なんてなくて、ただそこに馴染んで。スッと、その食卓に出せる感覚ですよね。
七恵 面白いなって思ったのが、ずっと小さい時から父がつくった器やコップ、お皿とかを使っていて。だから弟の健悟が最初に作ったコップを家で使った時に、今まで感じなかった違和感を私自身が感じられるようになっていて。コップの取手が太いとかちょっと「あれ?」みたいに感じた時に、父はなんの感動も不快感も感じさせない形を作っていたんだって気づいて、弟が下手だとかそういうわけではなくて、違和感を感じさせないってなんてすごいレベルなんだって、とっても感じるものがありました。重いとか変だとかだけではなくて「ただただ単純に良い重さいい形、良い口当たりとかさえも何も感じさせないってすごいね、お父さん」って話したことがあって。
藤田 ほんとうにすごい話だなあ……空気みたいなことですよね。心地がいいとかも言わせない。感想を持たせない。ただそこに馴染む……言葉のない世界に在るものですね。
七恵 そうです、まさに。
それで健悟がいっぱい数を重ねて作ってできあがった取っ手が付いてるコップを持った時に、何も感じなかったんですよ、いい意味で。あっうまくなってるみたいな。何様って感じなんですけど。
藤田 米司さんの技術をなぞって到達する領域の話じゃないですよね……自分の身体感覚の中に、このコップのこの取っ手は──というのが自然とプログラミングされないと。
七恵 そうですね。もう作り手からしたら、作る作る作るって数を重ねてそういう形になっていくっていうふうに聞いたことがあります。
藤田 すごい世界すぎて、たったこれだけ話しただけなのに胸がいっぱいです。聞いていて、ますますお皿を選びたくなりました。
※松田健悟(まつだ・けんご)/高校卒業後、読谷山焼北窯・松田米司工房で仕事をはじめ、現在、工房長を勤める。
天久七恵(あめくななえ)松田萌(まつだもえ)
父は読谷村北窯の窯元である松田米司さん。tou cafe and galleryのオープンに伴い、七恵さんは料理を担当することに。オープン当初はお店の手伝いをしていた萌さんは、現在自身で彫金のブランド「moe matsuda」を立ち上げアクセサリーの制作活動を行う。
tou cafe & gallery
沖縄県中頭郡読谷村伊良皆578