Dialogue1

vol.2 宮里綾羽(宮里小書店 副店長)×藤田貴大
おきなわいちば  presents対談シリーズ

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おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
おきなわいちば presents
対談シリーズ


「沖縄での営みをめぐる」

おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.2

宮里綾羽(宮里小書店 副店長)×藤田貴大

藤田 宮里小書店に行ったことがあります、そのとき千里さん(宮里綾羽さんの父であり宮里小書店の店長、祭祀採音者としても活動)のCDを買いましたよ。

宮里 ありがとうございます。

藤田 その時、向かいの金城商店さんがお会計してくれた気がする(笑)。

宮里 お向かいさんですね(笑)。そうなんですよ、親子揃って店にいない時も金城さんがすごい積極的に営業してくれてありがたいです。いつ頃ですか?

藤田 結構、前かもしれない。3年くらい経つのかなあ。

宮里 誰もいなかったですか。すみません。あの、千里さん、家近いんでここに呼びますか?

藤田 いやいやいや。千里さん、僕の中では伝説の人という位置づけなので、このタイミングで出会ってしまうのは……

宮里 すぐ来ると思います。

藤田 マジですか…… じゃあ…… 後半で呼んでください(笑)。千里さんは、自身が始めた宮里小書店を一度離れることにしたんですよね。それで綾羽さんが実質的にお店を運営していくことになった。それってどういう経緯だったんですか?

宮里 当時、千里さんは別の仕事をすることになって、常勤しなくちゃいけない仕事で。ちょうど私は育児休暇中で復職しようかどうしようか考えていたタイミングだったのが合致して。私としてはずっと一人でできる仕事がいいというか、どの会社にもそんなに馴染めなかったっていうか、馴染んでるフリはできるんですけど。本屋さんって一人で静かにできそうじゃないですか。静かに座っていられたらいいなぁと思って。

藤田 実際に始めてみたら、結果的には一人でやってる感じはないですよね(笑)。

宮里 全然なくて、一人でちょっと考え事してると隣の金城さんが喋ってくれます(笑)。

藤田 本屋を営んでいくというのが前提にありつつも、栄町市場という街が一つになって何かを営んでいる雰囲気がありますもんね。足を運ぶたんびに、一個体の大きな身体の中にいるような感じがします。あまりお店とお店の境界はわからないというか、一つ一つに境界がない気がするんです。

宮里 そうかもしれないですね。店と店が密集していて間口が広いからかな?那覇の商売人って昔はプライドが高いと言われていたり、愛想がいい人ばかりじゃない。一見ちょっと怖いと言うお客さんもいる。媚びないんです。いい意味で独立しているんですよね。だから群れることもないし。でも、お向かいやお隣同士だと家族より長い時間一緒にいる。長屋みたいに助け合うことも多い。でも友達ではない。不思議な関係ですよね。

おきなわいちばVol.68 島袋常貴撮影

藤田 綾羽さんのエッセイ集『本日の栄町市場と、旅する小書店』の中にも書かれていたことだけど、栄町市場でその界隈の皆さんと関わりを持っていくということはご年配の方々から話を聞く機会も多いんですよね。

宮里 そうですね。とてもありがたいです。金城さんというお客さんがいて、また金城さんですけど。その時85歳かな、本にも書いていますが、その方との出会いは自分にとって大きな出会いでした。おすすめした須賀敦子さんの本を買われていって、読んでまたすぐ来てくださって。「戦争で女学生時代が途中で終わったけど、本は読み続けてきたよー」とおっしゃっていました。お客さんの話の中には本には書けないことも多いんですけど。書きたいけど、書かない大切さもあると思います。

藤田 エッセイ集を読み進めていて、途中で妙に納得した部分があって。どれくらい意図されているかわからないんですけど、序盤から「座っている」という言葉が何度も書かれているのだけど、書店の椅子に「座っている」という意味から、どんどん「栄町に座っている」というふうに変換されていった感じがあったんですよね。なるほど、と唸りました。今、すごいエッセイを読んでいるなあ、と。

宮里 その表現、とても嬉しいです。あんまり本屋さんに固執しているというのはなくて、いつも市場に通いたいからっていう方が強いです。本屋さんでいたいというよりも、市場の一員でいたいのかもしれないです。一人になりたくて市場に来たのに、市場の人の魅力に魅せられて変わっていきましたね。

藤田 不思議なことですよね。場の在り方というか、場の規模感のようなものが一般的な感覚とすこし違う気がするけど、それがきっと本当にそうなんだろうというのもわかる。僕にはない感覚だから、すこし嫉妬しますね。

宮里 ちょっとすいません、あの千里さんです(笑)。

藤田 えーっ(笑)。

宮里 後で代わりますね(笑)。

藤田 東京に住んでいて、良いなと思うことの一つに、隣りの部屋に住む人がどういう人なのか知らなくてもそのアパートに住めちゃうというのがあると思うんです。人との繋がりを持たなくても過ごせるのが東京の良さだな、と。でも、綾羽さんの話を聞いていると、東京は東京で“一人になれる”と言いつつ、ベースには人と一緒にいて関係していた時間があるから、それに疲れたのか飽きたのか、“一人になりたい”というふうになっているだけな気がしますね。結局はそれって人に依存しているんじゃないかなと思う。どちらかといえば、栄町の方が人と関わって繋がりつつ、ちゃんと“一人でいる”っていうことも選んでいるというか。だから今話していて、すごく不思議な気持ちなんですよね。

宮里 東京は最初、居心地いいと思ってました。誰にもあまり干渉されなくて楽だなって。でも、今は干渉される市場が居心地いいです。市場で初めて身体性みたいなものを感じたんですよ。多分演劇とかもそうだと思うんですけど。市場の人ってだいたい何か手を動かしてお客さんと向き合っているのでごまかしもきかない。最初はそういうところが苦手、ほっといて…と思っていたんですけど、だんだん癖になってくるというか、ちゃんと今まで人とコミュニケーション取ってなかったのかもなって感じました。家族以外で、初めて居場所ができた感じです。

藤田 綾羽さんが東京から沖縄へ戻ってきたのは偶然じゃない気がしますよね。沖縄へ戻ってきたって言い方はすこしおかしいかもしれないけど。帰ってきたというよりも、戻ってきたって感じがするんですよね。ちょっと上手く言葉にできないし、あんまり運命とか巡り合わせみたいなのは信じないタイプだけど。

宮里 そうかもしれないですね。千里さんにもちょっと変わりますね。

千里 おはようございます。

藤田 おはようございます。こんなところで出会うなんて…… 千里さんの本、読んでいます。久高島イザイホー(CD)も聞いています。

千里 ありがとうございます。すみません。僕は状況もわからんでここに座ってます。

藤田 あ、僕は演劇を作っています。

千里 私は今何も作ってません。

藤田 (笑)。沖縄で出会ったいろんな人に「千里さんに会え」って言われるんです。こないだもある人に水の流れについて話していたら、そういうのは千里さんに聞いた方がいいよって。

千里 水の流れですか。

藤田 今、沖縄の水について調べていて。例えば水納島っていう島だったら水が無い島って最初は書いていたらしいんですよね。水無島、というふうに。今は水を納める島って書くわけだけど。井戸を掘っても水が湧いてこなかった島って、沖縄にはたくさんありますよね。水納島以外にも。

千里 そうですね、海水が出てくるとかね。

藤田 沖縄にとって水って何なんだろうって考えていて。あと繁多川。

千里 豆腐が有名なところですね。

藤田 はい。千里さんの『シマ豆腐紀行 遥かなる<おきなわ豆腐>ロード』読んでいます。

千里 ありがとうございます。繁多川は湧水が豊富な地域です。僕の家から繁多川が近いんですよ。この綾羽さんの妹が、小学生のときに自由研究で家から歩いて井戸とかを探して豆腐との関係をチェックしてね。

藤田 すごい……。

千里 小学生の自由研究にしては論文みたいになってました。

藤田 それ読んでみたい……。

千里 ほとんど私が書いたような感じでしたけど。

一同 (笑)

藤田 6月は首里のカー(井戸)を回ってみたんですよ。その数といい、佇まいも迫力があって。

千里 やっぱり水というのは暮らしの中で基本的なものだから、首里という地域は、そういう意味で水を大事にしてるかもしれないですね。

藤田 千里さんの代表的な著書に『アコークロー 我ら偉大なるアジアの小さな民』がありますが、綾羽さんのエッセイ集にもアコークロ―については書かれていて、とても面白かったのですが。アコークロ―という言葉の意味は本にも書かれているし、頭ではわかっているんだけど、千里さんの口から聞いてみたくて。どういう状態なんですか、アコークロー。昼と夜の間というか。

千里 その瞬間かもしれないですね。風で言えば凪の状態です。海風・陸風ってのがあるじゃないですか。それが真ん中でおさまりますよね。その状態、ちょうどその瞬間かもしれない。だからアコークローというのはよく夕方という言われ方はするけども、私の考えでは朝もあるんじゃないかという。

藤田 日の感じが切り替わるところ。時間帯を言うんじゃなくて瞬間なんですか。

千里 そう。だから1日2回あるし、基本的な考え方は沖縄だけじゃないのかもしれないけど、昼と夜しかないような感じなんですよ、捉え方がね。それは明るいと暗いという二分法かもしれないし。もともとみんな太陽と一緒に暮らしてきたわけだから。

例えばインドネシアのバリ島へ行くと、葬列がスタートする時間帯というのはみんな太陽を見て、その瞬間を待ってるんですよね。太陽が真上へ上ったときに、葬列がスタートするわけですよ。それは多分死に向かうんでしょうね。

藤田 そういうことか。

千里 要するにMAX状態からこれから暗くなっていくっていう。

藤田 死に向かっていくイメージ。

千里 そう。これ沖縄でも割と言えることではあるんですけどね。

藤田 綾羽さんのエッセイ集の中でも『アコークロー』についても書かれている章がありましたよね。親子でベトナムへ行った、という。その旅でのこと、千里さんの記憶としても改めてお聞きしたいのですが。

千里 ベトナム戦争が終わってそんなに時間が経っていなくて、イメージとしては硝煙の匂いがまだ残っているような、そういう時代だったと思います。ベトナム戦争は沖縄ともとても関係があったし、多くの人々が犠牲になり、手足をもがれた人も多かったんです。物乞いという形で生活をしている人もいて。たまたま沖縄から行って、沖縄とは無縁ではないよっていうことを(綾羽さんに)直接言ったというか、現実は見た方がいいんじゃないかと。

よく八重山とかに録音の取材で行ってて。宿に戻ってきて縁側みたいなところで疲れて寝そべっていたら、南からB52が北に向かって、要するに嘉手納基地に戻ってくるというのを毎日見ていたんですよ、毎日。朝は8時ぐらいから石垣の上空を飛んでいって。時々、10機だったのが夕方見たら9機になってるとか。つまり、撃ち墜とされてるわけです。

ベトナム戦争は非常に現実だった。コザはクラブやロックが盛んで、若い米兵たちはみんなもう明日はベトナムへ派兵されるという感じで、お金を全部使い果たしたそうです。そういう時代も見てきました。本当に目の前のことだったんです、ベトナム戦争というのは。

藤田 綾羽さんが“宮里小書店便り”の中で『魂の政治家 翁長雄志発言録』から引用してた「アジアの中の沖縄の役割、日本とアジアの懸け橋」という言葉が印象的でした。アジア、という言葉の響きが。辺野古埋め立て承認「撤回」手続き表明の記者会見での翁長雄志さんの発言なんですけど。沖縄は、アジアと日本の何か繋がりを担っているというか。

千里 翁長さんは結構アジアのことを意識していて、沖縄の基地問題なんかを語るとき、置かれてる立場を表現するときに、日本という国は、アジアの人々に向かって、責任を果たさないで堂々とものが言えるのかということをよくおっしゃっていました。沖縄というところは、そういうものがよく見えるところかもしれないですね。

藤田 頭でそれがわかっているような人はいっぱいいるだろうけど、それを本当に身体感覚の中で、肌で感じてわかっているかどうかで言うと多くの人がわかっていないんですよね。聞きたいことは山ほどあるのですが…… お二人に向けて聞くのはすこし恥ずかしいのですが…… 何かおすすめの本、ありますか。

宮里 小浜司さんの、『島唄を歩く』という本です。琉球新報に連載されたものをまとめています。沖縄の唄や三線について語られた本当に素晴らしい本です。「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を歌うでいご娘さんも出てきます。「艦砲ぬ喰ぇー残さー」という歌は壮絶な歌で。藤井ごうさんという演出家の方が、何年か前、「島口説」という芝居を国立劇場おきなわでされて、その劇の中でも使われていたのですが、沖縄の戦後を象徴する歌なのではないかなぁと思いました。今年、栄町市場でも上演する予定だったらしいんですけど、コロナでなくなってしまいました。

千里 米軍の艦砲射撃ありますよね。すごい艦砲射撃があったんだけども生き残ってしまったという、ちょっと自虐的な歌詞です。

宮里 「あなたも私も おまえも私も 艦砲射撃の喰い残し」

千里 艦砲が人々を喰うというか。その生き残りというすごい表現。ドンピシャな表現ですけども。

藤田 かならず読んでみます。

宮里 でいご娘さんのお父さんの話も、信じられないぐらいの、なんかもう小説にしたら嘘でしょって思うくらい大変な人生です。もう1冊は國吉和夫さんの『STAND!』という写真集です。この写真集は多くの人に見て欲しいから、店に常に置いています。ちなみに、『島唄を歩く』の写真は國吉さんが担当されています。

藤田 千里さんは今も、宮里小書店に置く本は選んでいるんですか。

千里 いやあ、私はもうほとんど関わってないんです。

藤田 良い本だなと思う基準の一つに、読んでいてお腹が空くというのがあって。美味しいものを美味しそうに書くってみんなができることじゃないので。綾羽さんの文章って、食べものが美味しそうだなあ、と思って感動しましたね。

おきなわいちばVol.68 島袋常貴撮影

千里 自慢じゃないんですけども、綾羽さんは食べることにはかなり執念を燃やす。子どものときに、昼ご飯食べながら、夕ご飯の心配をしている。「夕飯はなんなの?」って。

宮里 コロナ禍って食事が楽しみじゃなかったですか?余計。

藤田 外食できなくなってくると、家で何か作るとか、何か食べることにこだわり始めますよね。やっぱり外食って結構お金つかっちゃっていたと気づくし。

宮里 確かに。でも市場は安くておいしいものが多くて助かります。「おかず家かのう」さんという店があるんですけど、300円のお弁当でぎゅうぎゅうなんですよ。素材にもこだわっています。ケチャップとかも手作りしちゃうぐらい。すぐ売り切れちゃうんですけど。ぜひ今度食べてみてください。

藤田 6月に沖縄へ行ったときも、以前よりもお弁当を出したり、テイクアウトできるお店が増えたことを感じました。

宮里 もとからお弁当ってよく出ているよね。県庁前とか、大きい駅とかみんなお弁当屋さんが並んでいて、買えます。

藤田:千里さん、栄町でどこかおすすめないですか?

宮里 夜専門だよね。

藤田 千里さん、綾羽さんのエッセイ集にもだいぶ書かれていますけど、カウンターでよく酔い潰れているんですよね。最近は飲みには行けないかな。

千里 お酒はやめていないけど、コロナ禍であまり行けてなくて。落ち着いたら昼の部と夜の部で行きましょう。

藤田 最高のツアーじゃないですか。じゃあ次行くときは連絡してもいいですか。

宮里 はいもちろんです。ありがとうございました。

おきなわいちばVol.68 島袋常貴撮影

宮里綾羽(みやざとあやは)

宮里小書店副店長。父の千里さんとともに宮里小書店を営む。著書に『本日の栄町市場と、旅する小書店』がある。

宮里千里(みやざとせんり)

祭祀採音者。宮里小書店店長。退職後に栄町市場に宮里小書店を開く。エッセイストとしても活躍し、著書は『アコークロー我ら偉大なるアジアの小さな民』、『シマ豆腐紀行 遥かなる〈おきなわ豆腐〉ロード』『沖縄 時間がゆったり流れる島』など。CDでは『琉球弧の祭祀−久高島イザイホー』がある。

宮里小書店
沖縄県那覇市安里388(栄町市場内)