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vol.8 嶺井大地(自家製ハム・ソーセージ専門店TESIO 店主)×藤田貴大
おきなわいちば  presents対談シリーズ

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おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
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対談シリーズ


「沖縄での営みをめぐる」

おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」vol.8

嶺井大地(自家製ハム・ソーセージ専門店TESIO 店主)×藤田貴大

藤田 嶺井さん、おいくつですか?

嶺井 37になります。

藤田 ですよね。いろんな記事を読んでいて、もしかしたらと思って。僕は36なので、結構近いですね。いくつまで沖縄に住んでいたんですか?

嶺井 僕は大学が九州だったんで、高校まで沖縄で、大学を卒業して沖縄に戻ってきてますね。

藤田 戻ってきてから、宜野湾市のカフェ「mofgmona(モフモナ)」で3年間働いていた──

嶺井 そうですね。3年半いました。その後は京都に行きました。

藤田 京都でソーセージやハムを作っているところに弟子入りしたということですか?

嶺井 mofgmonaを経て自分がお店をやりたいっていう思いが高まって。料理と一口に言ってもさまざまなものがあるので、僕ならではのことがしたいなあって思っていた時に、たまたま友人が紹介してくれたところがあって。そこを頼って京都に行ったんですけど、ちょっと僕にははまらなくって、悩んでいた時にソーセージ屋さんに出会いました。半年ほど京都で学んだ後、静岡のお店を紹介してもらって。なので、本格的に弟子入りして学ばせてもらったのは静岡になりますね。

藤田 「静岡にもお店があるから」って話しになったということ?

嶺井 京都で学んでいた時は、もともと募集してないから給料はあげられないってことで、でもそれは当然な話で。僕自身は学ばせていただけるんだったら給料はいらなくて。そこで半年くらいやったのかな。それでお店としても「いつまでも関わってもらっていても僕たちは君にお給料を払ってあげられないから、お世話になってる方が静岡でドイツ製法のソーセージ屋さんを営んでいて、今、手薄になってるはずだから、そこに本格的に弟子入りするといいよ」って紹介してもらって。それで翌日には荷物まとめて静岡に行ったんです。でも、それこそ弟子なので、結局お給料出なかったんですけどね、静岡で。

藤田 そうなんですね……静岡は何年くらいいたんですか?

嶺井 3年半ですね。師弟制度の中で学ぶってあまり時代には合わないと思うんですけど、僕が学んだところは師匠が教えないスタイルの、盗めという、修業でした。

藤田 「盗め」というのは、めちゃくちゃ大変そうですね。

嶺井 「見るな、盗め」って言うんですよ。肉を切りながら。隙を伺いながらの毎日になるので、3年半いましたが、ちゃんとした技術というものを100%学べたのかどうかは、今でも分からないですよね。今、僕のもとに2人技術者がいて、1人は1月いっぱいで独立しちゃうんだけど、僕自身はその2人にやり方を全部教えました。弟子がほしかったわけじゃなくて、一緒に仕事ができる人がいち早く欲しくて、だから彼らが学びたいって来た時にすぐに何もかも託した。そうすれば、僕が3年半かかっても学べなかったことを彼らはほんの1、2ヶ月でできるようになる。
結局、技術の受け渡しっていうのはさして難しいことではなくて、それを得るための工夫だったり、得た後にどれだけ自分のものにしていけるかってことだったり、いっぱい悩んだり考えたりってところに職人としての出来に関わることがあるような気がするんですよね。そのことは3年半の時間でとても学べたと思っています。

藤田 時間をかけた、ということが別に回り道ではなくて、それもそれで?

嶺井 回り道したとは思いますけどね、3年半も何をって思っちゃいますけど。
沖縄で暮らしていたら、ソーセージ屋さんってみかけないでしょ。僕も京都で初めてソーセージ屋さんって業態に出会って、学びたいって思ったんですよ。沖縄は豚肉料理も多いし、基地が目の前で、多分僕たちって日本一加工肉を食べている場所で暮らしてるんです。でも不思議と自家製ソーセージ屋さんってやっているお店が少ない。お肉に関わらず、沖縄は独自の素材っていくらでもあるんですよ。ハーブもあればスパイスもある。感性でものづくりしていこうって人がここでどんどん生まれてしかるべきなのに、それが今までは生まれてこなかった。これから僕たちの投げかけ方によって、それが広がっていくかもしれないって考えるとすごいワクワクする。

おきなわいちばVol.64 青塚博太撮影

藤田 それぞれが嶺井さんのもとから独立して、その波紋が広まっていく、と。

嶺井 そうですね。今沖縄の中でのコーヒーの盛り上がりを見ているとすごいうらやましいんですよね。職人さん同士がお互いに情報共有しながら輪になってイベントを実践して、技術の研鑽がそこにはあって。世界にどんどんどんどん羽ばたいていって、というようなことを、ソーセージでもできるんだろうかって思ったりする。
それはきっとハムやソーセージじゃなくてもよかったのかもしれない。

藤田 ソーセージって、それだけが食卓に並ぶというものでもないですよね。そこには、何か副菜があったりお酒があったり、食卓の中でコラボレーションできる食材でもあるから。いろんな可能性があるな、と思いましたね。

おきなわいちばVol.64 青塚博太撮影

嶺井 おっしゃる通りだと思います。僕もいろんな企画や提案をするんですけど、僕たちシャルキトリーばっかり表現するんじゃなくて、素晴らしいパン屋さんや飲み物屋さんの力を借りながら、今まで企画を考えてきました。そうすることでお客様も分かりやすいし、こちらから提案する新しい組み合わせを楽しむっていう絵が成立してて良かったんですよ。
でも多分これってソーセージに限らず、きっとビールはビールで同じようなことが言えるし、パンはパンで。きっと食だけじゃなくって、あらゆることがそれ単独では成立しないことだと思うんですね。
(同席していた青柳いづみさんに気づいて)あれ、僕、銘苅ベースにひとり芝居を見に行きましたよ。それこそクリフさんもいたし、宗像さんもいたし、たまたま紹介いただいて、フラッと見に行ったことがあって。素晴らしかったです。初めて劇場でああいう演目を見るってことをしました。

藤田 2018年に全国ツアーした『みえるわ』ですね。観ていただいていたんですね、うれしい。

嶺井 すごくうらやましいなって思って、なんだかソーセージを作ってるとあまりそれを表現だとは思えないんですね。製造業だから。やっぱり商売の中でしかお客様とはつながれないんじゃないかっていう葛藤があったり。でも僕たちとしても、何かしらくすぐるようなことがやれるんじゃないかと営んでいるTESIOのほうがいいなって思ったので、なんかその時の感動を覚えています。

藤田 ありがとうございます。
mofgmonaでアルバイトしていた時代や、それより前の大学の頃の心境をいろんなインタビューの中で、なかなか辛かったと語っていましたよね。「自分がどう生きたいのか、何を目指すべきなのか」と。

嶺井 結局なんだろう、ナルシストっていうかね。皆が一様にどんどん社会に飛び出していくタイミングで僕は変にこだわっていけなかったんです。今はなんか偉そうなこと言ってるけど、こういうふうになったのってほんとに30を過ぎてからなんですよ。

藤田 それがコザという地域で営みが始まったというのが、面白いなって思って。TESIOがある建物の二階は、嶺井さんのおじさんが──

嶺井 今も現役でロックを聞かせながらお酒を飲ませるっていうサービスを続けていて、今もう72です。僕が1階でソーセージ屋を営むことができているのはおじの図らいです。ソーセージ屋を作りたいって探しても、物件がみつからないんですよ。煙が出るからって何度も断られた結果、おじが1階の物件空いているよって紹介してくれたんです。

藤田 タイミングもよかった?

嶺井 当時、コザで商売をすることに僕はそんなに魅力を感じていなかった。ただ、ソーセージが作れるんですよ。ここ夜の街だから、日中に音や煙を出しても怒る人が周りにいない。ましてや商業の街なので、戦後復興、その後からずっとお店が連なっていて、人の生活とはちょっと遠いんですよ。

藤田 なるほど、そういう意味で生活とか日常とはすこし距離があるんですね。

嶺井 ものづくりにすごくうってつけだなと思って僕はここに入ってきたんですね。街の思い入れとかが特にあるわけではなかったんですけど、やってみると非常に課題が多いというか。取り組み甲斐がある、ストーリーを多く持った街で、その中でやっているうちに、僕と同じような思いの方々がいるなあってすごく感じてます。

藤田 コザって町は独特の「混ざりかた」があるように見えるんですよね。コザのそのかんじと、ソーセージを製造する──精肉を調理して混ぜていく──作業自体が、イメージの中でシンクロするというか。昨夕、はじめてTESIOに足を運ぶまでの道すがらで、先入観としてパッと思っていたのは、ソーセージやハムって「アメリカンなもの」だから、それがコザという町とつながりやすそうだなあ、というふうなことだったんだけど。実際に食べてみて、そんなシンプルなシンクロではなさそうだなあ、と自分の中で改めたんですよね。絶妙にいろんなレイヤーがクロスオーバーしてる町で、ソーセージを作っているというのが感動的だなあ、と。

嶺井 なんかお話じみてるなって思うんですよ、人生というのは。誰かの創作の中で僕は営んでるんじゃないかって思うぐらい、たまたま選んだお店の裏がお肉屋さんだったりだとか。ほんとに壁1枚隔てて後ろが50年以上続く精肉店なんです。親父さんがさばいたお肉を担いで持ってきて、ウチはその材料をつかってソーセージを作り、お客さんに届けることをしてるわけなんですけど、だからもう50年以上続けている方と今街に入ってきた人とがそこでつながっていくという。おっしゃったみたいにほんとにこう混ぜ合わせるような文化だし、ソーセージのように連なっていくものだとも思う。最初から最後までほんとコミュニケーションというか。でもソーセージ屋さんの看板を掲げてる以上は僕の作るソーセージは美味くなくちゃいけないんですよ。

藤田 それは本当にその通りだし、その言葉を聞けてよかったです。そう、まずはクオリティですね。その前提がないと。

嶺井 そこはもうお約束であって。ただそんなお店がやっぱりここにいることを面白がってもらうには、ソーセージの味わいと設計ばっかりに向き合ってるのではなくて、何かドラマを欲していないとお店であることの意味ってほんとになくって。

藤田 TESIOさんのお店に足を踏みいれたときにまず思ったのが、視界がずーっと奥まで拓けているというか。厨房の中まで全てが見えるんですよね。入口も大きく構えていて、職人さんが製造している姿をたぶん最初から最後まで見ることが出来て。ものすごくオープンな空間ですよね。

おきなわいちばVol.64 青塚博太撮影

嶺井 ホントは野原でやりたいですよね。保健所さえ許してくれるんだったら。自分がやってる環境がクローズじゃなくて、誰でも足を踏み入れていい場所なんだとしたときに、ソーセージ屋ってものがもっと人の生活の近くにあって、もっといろんな方々に自由に触れてもらえたら、なんかいいですよね。

藤田 なるほど。そういえば、実際に豚をさばいていく様子も見れるってことですか。

嶺井 はい。ナイフ1本で。そういうことがしたくて僕はこういう作りにしてるんですよ。

藤田 すごいですよね、ここから見えているナイフの種類も。

嶺井 今、建物の半分しかTESIOのスペースがないでしょ。半分がおざなりになってたのはお金がなかったからなんです。全部賄える予算を準備したはずなんですけど、古い建物だからこれが必要あれが必要ってなっちゃって、結局このお金じゃ半分しか作れませんけどどうしますかってなって、泣く泣く始めた形がこれだった。お金がないと中途半端なスタートしかできないんだって思ったけど、その残った半分に飲み物屋さんが入ったりして、ここがいろんな方々とのセッション出来るスペースとして機能することになりました。当初、半分しかないことが嫌だなって思っていたのですが、結果的に自分たちの身を助けるようなことになりました。

藤田 そこで最初から全部を完璧にしてやろうと思っていたら、なんとなくその後の出会いもなかった可能性もある。

嶺井 最初に完璧なんだとしたら、もうそこでお話は終わってたのかもしれない。もしくは今みたいな生き生きしたことにはつながっていかなかったかもしれない。もしかしたら2階がロックの店であることも先々僕たちTESIOのストーリーに面白いことが待ってるかもしれないし、あの時コザしか選択肢はなかったけども、コザでよかったじゃんっていう話に今既になっていて、あと3年後5年後どうなるのかって思ったら、わかんない。

藤田 コザも、近年いろいろと変わってきていますよね。新しい観点を持った映画館が増えたり。

嶺井 街が息を吹き返してきてるっていったらよくないのかな。

藤田 お店を始めた当初は、今のような雰囲気ではなかったんですか?

嶺井 5年前の2017年にオープンしてるんですけど、あのときは僕の身内や親戚からはほんとに大丈夫なのかと言われていました。命に危険はないのかっていうぐらいここは治安が危ぶまれていたし、周りに地元の方々が楽しめるようなサービスはなくて。正式にはコザって地名ではなくて、沖縄市なんですよ。昔の名残でみんながコザコザ呼んでいて。多分むこうのゲート通りがコザって呼ばれてる街なんですが、ただじゃあどこからどこまでをコザって言うのかって皆の中で様々で。その最大公約数をとってみると大体このゲート通りと向こうのパークアベニューっていう通り2つのメインストリートを囲ったこのスクエアの中心市街地がコザだよねってなってて。ここに専門店が徐々に増えてきていて、TESIOをオープンした2017年以降に加速していった。

藤田 二階にいるおじさんは、どんな方なんですか?

嶺井 おじはすごい堅実で、どっちかというと極めて慎重。でもロックに何十年も身をおいていて。僕も最近おじから聞いたんだけど、ベトナム戦争のあたり、沖縄戦が終わって、いざ復興となった時代、ここから興ってるんですって。それは基地があったからで、基地の方々をもてなすようなサービスで盛り上がってきた。そこにはエンターテインメントが必要で、ジャズやロックというものをやれば喜ぶらしいっていうので、地元の方は技術を学んで研鑽を重ね、彼らに対してプレイするような土壌ができつつあった。音楽に携わってる当時の若い子達は、みんなコザでやることが一流で、コザで喜ばれることこそプロなんだっていうことを思いながらこの街に入ってきてみたい。
僕が高校生の時、20年くらい前はまだここはライブハウスが立ち並んでいて、当時、日本の音楽シーンのランキング1位になるような音楽はこのライブハウスから発信されたりしたわけ。日本のロックはコザから始まったっていうぐらい、本格的なロックを発信してた場所だったんです。だからすごい夢があったし、何かすごい熱狂がそこにはあったんですよね。僕が高校生の時だから、おじは当時52歳ですよ。

藤田 かっこいいおじさんですね。

嶺井 かっこいいおじだったし、今が一番かっこいいんんじゃないですかね。

藤田 (TESIOを指して)ここはここで、バーか何かだったんですか?

嶺井 僕たちが営業する前はタトゥーショップだったそうです。その前はパチンコ・スロット。その前は何だったっていうのはあるんだけど記録が残ってるわけじゃないんですよ。
そうそう、あるはずがなかった地下室も見つかりましたし。

藤田 あ!その話Cliff Beerの(宮城)クリフさん(おきなわいちば presents対談シリーズ 「沖縄の営みをめぐる」vol.4に登壇)から聞きました! 聞いてもちょっとわからない部分が多かったんですが、詳しくはどういうことなんですか?

嶺井 ある日フラッとやってきた男性が、40年前にここで働いていたらしいんですね。元々、ここはクラブみたいなところで、将校さん達が遊びに来るような場所だった。バーカウンターがあって、将校さん達に夜通し飲み物をサーブしてヘトへトになった後、この下で踊ってたって言うんですよ。僕が「この下は何もないですよ」と言っても「下はある」と。僕らの中では「この建物ではないんじゃないか」って話になったんですが、いや絶対ココだと思うって。40年前から建物の配置は変わってないんだって。でも特に記録はないし、その男性はまた来る時までに掘っておけと言うし、それから僕もずっと気になってしまったんですよね。スタッフにさっき来た男性がこんなこと言うんだけど、ちょっと掘ろうかって言ったら、絶対やめたほうがいいんじゃないですかって。

藤田 ですよね。しかも、掘ってみたところでなんにもなかったら──

嶺井 なんにもないし。あったとしてここは食を扱うお店だから、40年間密閉されていた空間で、しかも何が出てくるかも分からないのに、それどうなんですかと。だから、一人でしばらくずっと悶々として。

藤田 そりゃあ、確かに気になるよね。毎日通っている自分のお店に知らなかった地下室があるって言われたら。

嶺井 スタッフには反対されたけど、僕としてはなんとしても掘りたい。専門家の方に「まずは、あるかないかだけ判断つけたいのですが、なんとか出来ませんか」っていう話をしたら、「掘らないとわかんないよ」って言われて。それで、意を決して定休日でスタッフがいない時にここにこっそり集まって決行しました。それで、実際に割ってみたら、床がガラガラガラガラって崩れて、そしたら地下室が本当に見つかったの。

藤田 ほんとにすごい話しだ……ドラクエみたいな展開ですよね。

嶺井 いや本当に面白い。割と狭い空間だから、そりゃ埋めるよなって感じなんですけど、実際に見つかったらすごい楽しくて。

藤田 長い時間の積み重ねの上に、現在のお店があるって実感しますね。今、お店とか一つの場所/営みを持ってる人たちと話していると、嫉妬するというか羨ましいなって思うんですよね。場所の力みたいなことって、そこに居続けたり、そこに立ち止まり続けないと見えないことってあるんじゃないかと思って。演劇はとても流動的なんですよね。劇場を持っていれば、そうじゃないのかもしれないのですが、マームとジプシーはその名のとおり、旅をするというのも一つの大きなテーマではあって。でも、場所に憧れる気持ちもたしかにあるんですよ。さっきの、半分しかなくてここが不完全だった、だけど今となってはそれでよかった、というのは日々の場を持っていてこその発見だし。

嶺井 僕たちのソーセージを食べた時に「美味しい」というのは、すごくわかりやすい反応ですよね。でも美味しいからって言ってまた来てくれるかはわかんない。TESIOに足を運んでくれる人たちって単純に美味しいっていうところじゃない何かを求めて来てくれているんだとしたら、僕はそこのポイントをすごく追求してくことが店作りなんじゃないかってことを思う。演劇がすごくいいなあって思うところは、見る側がよかったかよくなかったかっていうことだけではないと思うんです。いいとか悪いとかじゃなくて咀嚼のその程度がやっぱり違うよなあってことは思うから。

藤田 僕の中の良し悪しの基準って100人いたら100通りの感想が生まれることだと思っているんですよね。同じ感想を持っているひとが客席にいない状態。その受けとる側/観客の中に、グラデーションを作っていくというか。舞台上のヴィジュアルを作ることだけがデザインではなくて。全ての人が拍手喝采みたいなのも、パーフェクトに「これが美しい」ってそこにいる全員が思っちゃったら、もうその先は無い気がして。すこし、疑問が残るくらいじゃないと、その表現に未来はないと思うんですよね。

嶺井 テクニックとして面白いものを作るってことは多分簡単なんでしょうね。誰かを面白がらせるだとか誰かを感動させようって思って作るものはきっと難しいことじゃないんじゃないかなって思うんです。けどやりたいことはそこではなくて、もう少し後ろ側にあるようなところで誰かに作用したいって思っている──あんまりこういう話スタッフにしないんですよ。あんまりどころか全然しなくて、なんか吐き出せてよかったな、すごく。もちろん経営的な思いから狙うところっていうのはあるし、そこはしっかり踏まえながらもTESIOのクリエイティヴィティを誰かに届けるという時に、こういうことがしたいんだなってしっかり理解してもらえるような提案を重ねていけたらって思っていて、今はそれがすごく楽しいと言うか、バランス良くやれているところ。スタッフも随分増えたんですよ。最初2〜3人で始めたものが今11人雇っていると、だからこそわかりやすいアプローチがすごく重要になってくる。そこのせめぎあいに負けたくないっていう思いと、本来自分が何をしたくてTESIO始めたのかなっていうところは常に葛藤としてあって面白いですね。

藤田 TESIOの一角がギャラリースペースになるのだとしたら、それはほんと楽しみです。

嶺井 なんかやってもらえたら。ほんとに遊んでください。ギャラリーにしたいと言ったところで誰がどう使うかって全く当てがないんですよ。ここがあって下があって。そのための準備を色々これからしようってところなので、ぜひ使っていただけたらすごく嬉しいな。

藤田 ありがとうございます。じゃあちょっと地下室に降りてみていいですか?

嶺井大地(みねいだいち)

沖縄市でハムやソーセージなどの加工肉専門店TESIO(テシオ)を営む。大学卒業後に県内の人気カフェmofgmonaで働いた後、加工肉の技術を学ぶために京都、静岡へ。沖縄へ戻り、TESIOを開店。商いだけでなく、まちの活性化につながる活動も多数企画。

TESIO
沖縄県沖縄市中央1-10-3
098-953-1131