Dialogue1

vol.5 鮫島拓・睦子(一級建築士、ON THE SAME HOTELオーナー)×藤田貴大
おきなわいちば  presents対談シリーズ

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おきなわいちば presents対談シリーズ
「沖縄での営みをめぐる」
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対談シリーズ


「沖縄での営みをめぐる」

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「沖縄での営みをめぐる」vol.5

鮫島拓・睦子(一級建築士、ON THE SAME HOTELオーナー)×藤田貴大

藤田 鮫島さんたちのON THE SAME HOTELが建っている土地は、“偶然出会った”と聞きました。

 そうですね。土地はずっと探していたんです。家というか、「居場所」を作りたいなと思って、南城市や北部の方も、那覇の栄町あたりも、とにかく色んなところを視野にいれて歩いて探して、「この土地空いてませんか?」、「この家空いてませんか?」って、1軒ずつ突撃していきました。僕にとってはフィールドワークみたいなもので、その中で、今ホテルがある土地を持っていたおばあちゃんに偶然出会ったって感じです。

睦子 沖縄って不動産情報に出さないものが結構あるんですね。地元の人たちは、空いた土地があってもそうそう手放さないし。だから探すなら足で稼ぐしかないと思っていました。自分たちで毎週お散歩しがてら「あっ、ここの土地空いてる、いいね」みたいな感じで、その土地の持ち主を探して、「この土地空いていませんか?」って本当に聞いて回っていましたね。

 土地探し遊びみたいな。僕は大学院の時に都市計画の研究でフィールドワークをずっとしていたので、そういうまちを見て歩くというのが染み付いているというか、それが面白いなって思っていたんですよね。

藤田 そうやって歩いて探していく中で、偶然入った路地で出会ったおばあさんが土地を譲ってくれたんですね。それは、本当に奇跡ですね。

 「土地持ってますか」って、もうそれこそギャグみたいに、あっちこっちで聞いて回ってたんですね。今僕らがやっているON THE SAME HOTELという宿があるのは那覇の松尾なんですが、宿の一本表の通りで会ったおばあちゃんに同じ質問をしたら、「土地、あるよぉ~」って普通に答えてくれて。そのおばあちゃんが道路を渡っていって、ピッて指差して「ここあげるよぉ~」って。最初は「あげる」って言われたんですよ。

睦子 「えぇ?」ってなるじゃないですか。なんか不安で怖いなって思って、私は最初反対したんですよ。

 僕もちょっと引いたんですが、でもせっかくの話だしと思って本格的に建築情報を調査していったんですよ。そうやっていったら急にむっちゃん(睦子さん)が「こんなとこホントに買うの?!」って。親戚にもみんなに反対されました(笑)。

藤田 かなりリアルな話ですね……最初はもちろんテンション上がったのだろうけど、手続きを徐々に重ねていったら「本当に買うの?」って現実味が帯びてきたってやつですよね。手続きってそういうところが面白いなと思いますね。ある瞬間に、現実を突きつけられ、手続きを前に立ち尽くすという。

 現実味が帯びるごとに恐怖感が増してきて。

睦子 だって、雑草がめっちゃ伸びてるし、なんかゴミみたいなものもたくさん落ちていたし、その中に身分証明書とか預金通帳とかもあったんですよ。怖いじゃないですか。

藤田 身分証明書……その方は今どこにいるんでしょうね……でも、僕も実際にON THE SAME HOTELに足を運んでいますが、お二人が話しているような以前の状態が、全く想像出来ないんですよね。拓さんのインタビュー記事を読んでいると、余白という言葉がいくつも出てきて。余白、面白いなと思ったんです。ON THE SAME HOTELの階段を登ったり、お部屋に入ったときも、絶妙な余白をたくさん感じて。余白と言うか、隙間みたいなものから生まれてくるニュアンスなのかなあ。あの端のほうが空洞になっている階段一つとっても、登っている時にただの階段を登っているのとは少し違う感覚が自分の中で生まれたのを感じたんです。心地のよい浮遊感があった。

 でも自分では、そこまでいけてない自覚もあって。もっと面白くできるのにっていう悔しさがあります。でもそういう風に言ってもらえてすごくありがたいです。やろうとしてることはそういうことなんですよね。何かひっかかったり、何か普通と違うということを、少しだけ意識してもらえたり、感じてもらえるようにする工夫は大事にしています。

藤田 例えば、自分がお店をやるなら何のお店やるんだろうなとか、家を建てるとしたらどういう家を建てるんだろうなとか考えるとわくわくするじゃないですか。ただそのわくわくを引きずった想像の中で、「この土地に何か建てよう/ここだったら面白そう」と決めたとしても、実際に待っているのは現実的ないろいろだと思うんですよ。決めたその土地に何日も佇んでみないと分からないことってあるだろうな、と。拓さんと睦子さんは、建つ前のあの土地に佇んでみたりする時間はあったんですか?

 詩的な意味で佇んだりしたことはあまりなかったですけど、本当に場所を知るためにずっといるようにしてました。今、宿が建っている場所はすごい汚かったし、蚊がたくさんいて、犬もめちゃくちゃ吠えてたりしてて、ちょっと居続けるのが辛かったですけど(笑)、でも佇んでいました。

睦子 光の入り方とかも見ないといけないし。

おきなわいちばVol.75 G-KEN撮影

藤田 ON THE SAME HOTELに行ってみて、お話しを聞いたときに、お二人は街の中の一角を開墾したんじゃないか、って思ったんですよね(笑)。開墾に近いこと、もう土地を一度剥がして耕すくらいのことをしないと、あんなに抜けのよい空間にならないと思うんです。

 その抜けは、そういう意味で言うと意図的に作ったと言うか、作ってしまったとも思ってるんですけど、良かったのか悪かったのかも分からないですし、街を変えないっていう計画もしたかったし、変わることの面白さも常にあるはずだから変えてみたかったっていうのもある。建てたんだけどもう1回壊してもいいかって思うような、複雑な感じは今もありますね。どちらとも言えるというか。それは建築の面白いところかもしれないと思います。

藤田 建築ってすごくロジカルな世界でもありますよね。建設するためにはあらゆる部分がミリ単位で数値化されて、計算されていると思うし、きっとその積み重ねですよね。あえて観客って言葉を持ち出すけど、ON THE SAME HOTELに足を運んで、そこに身を置く我々観客には、あまりその計算された数字が見えなかったんですよ。感覚的なところに身を置いていた気がしたんです。あの感覚が、さっきからお話ししている余白だと思って。ON THE SAME HOTELには、それをとても感じたんです。とはいえ、ただのしょうもないビジネスホテルに、ツアー先で泊まるのも好きなんですけどね。そこには余白なんて、全然ないけど(笑)。ここにコンセントがあっても携帯電話の充電器が枕元まで全然届かないじゃん、みたいな。ホテルの人たちは、この部屋に1回でも泊まったことあるのかな?泊まって、この不便さに気づいてくれ!って叫びたくなるような。でも、なんかそういう想像力の無さも含めて、建築って面白いなと思います。

 藤田さんの、その自分の立ち位置を俯瞰してみるっていうか、一瞬一瞬で自分を振り返ってる感じがめちゃくちゃおもしろい視点だなって思います。僕もそういうことを意識的にやりたいなと思っていて。藤田さんは無意識を嫌うというような感覚はありますか。

藤田 演劇の脚本家や演出家というのは、ずーっと表で見ている職業だと思ってるんです。表というか、客席ですよね。客席から僕はずっと舞台を見つめているだけなんですよ。役者を職業にしている人たちは常に僕の傍にはいるのですが、僕の観点とはまったく真逆の世界に生きている人たちですよね。

 作家と役者の違いってことですか?

藤田 そうですね。役者さんたちは、世界の中から主観的にモノを見ていくんですよ。でも、僕は例えば自分がカフェにいたとしても、向かいの路地からそのカフェの中にいる自分を見つめている/眺めているって感覚が常にあるんですよね。カフェの中にいる登場人物たちを。

 藤田さんが以前にやられていた、朝起きて家からワークショップの場所に来るまでを参加者に話してもらうというワークショップを見たときに、表から見ている感じや、表から見ている世界に強制的にみんなを引き込むっていうのがすごいなと感じました。才能を全員に植え付ける技を持っているというか、無理やり才能を共有させる技。ずるいなー!って。建築家もそういう外から見る感覚って割とあるはずで。他人の住宅を設計するときは、自分が施主ではないので。ON THE SAME HOTELは自分たち自身が施主だったたけど、感覚としては自分が施主にはなっていなかったですね。

藤田 それは不思議な話しですね。自分の家なのに、他の人の家をつくるような感覚?

 自分たちの好きにしていいはずなんだけど、逆にめちゃくちゃやりにくかった。要望を出してくれる人とかクレーム言ってくれる人がいる方が楽かもしれないって思いましたね。依頼主としての自分が、設計者としての自分にダメ出ししないといけないし、要望をつけないといけないし。

睦子 何でも出来ちゃうから逆に、ね。

 俯瞰と主観を行ったり来たりしないといけないっていう。

藤田 たしかに、依頼主がいて条件があるのと、やれることが無限にあるのとでは全然違いそうですね。依頼主にもならなきゃいけないし、設計士にもならなきゃいけないってことですよね。でも、「やっぱりこうしたい」とかそういうオーダーをいちいち聞いていくのも大変そう。たまに、製作してきた流れを無視して、土壇場で「俺はこういう演技のプランでいきたい」とか言い出す役者、というか俳優がいますけど──

 そうそう。でも役者さんとかってそういう感じの人いるんですか?

藤田 そういう俳優もいますね。不安なんでしょうね、演出や本を拠りどころにできなくて。僕も僕で考え抜いた言葉と演出を楽日まで貫き通したいわけですが、まあ、話し合うしかないですよね、そうなると。でもその話し合いの中で、意図していなかったムードが、よい意味で生まれる場合もあるんです。建築家も様々なタイプの方がいると思うんですが、自分の意見を押し切ろうとする建築家さんも、きっといらっしゃいますよね?

 いるいる。藤田さんの文章を見せてもらっていると、建築と演劇の作業は近いって思いました。建築は、建築家がミリ単位の設計をやって、コンクリートを打つ前に鉄筋入れて、大工さんが型枠を組んで、型枠がはずれないようにどういう風に金物で固定するとか、技術的にすごい泥臭いことばかりをやっていくんですね。ただ、そのうちの2%とか3%に精神的な世界があって、俯瞰してみたり中に入ってみたりだとか、空間の質だとか考えるんですけど、そういう精神的な作業も、技術的な泥臭いところも建築と演劇は近いんじゃないかなって藤田さんを見てたら思って。演劇ちょっと見てみたいって初めて思いました。

藤田 嬉しいです、いつかお二人が携わる演劇の現場を見てみたいです。建築も演劇もロジカルに組み立てていく中で、現実にぶち当たる時が必ずあると思うんです。依頼主からのオーダーがあったり、クレームがあったり。俳優との話し合いもそうだけど、劇場からのオーダーに応えられているか、とか。その瞬間、作家性が無視されたり、作家としてどうだとか言うよりも先に、人として何を選択するかを試される時ってかなり頻繁にあるんですが、その現実も現実で僕は楽しいんですよね。逆に楽しめないなら、集団創作的な態度はやめたほうがいいとも思うし。

 藤田さんが今みたいな感覚で作品を作っていって、お客さんに見られたり、批評家に何か言われたりとか、名前が売れていって、そういう周りの声が増えていくじゃないですか。その声を意識することってあるんですか。

藤田 もっと若い頃は結構そことの闘いだった気もするんですけど、最近はもうあんまり考えていないですね。

 気にしないなら気にしないで、自分の自分に対する批評って絶対あると思っていて。むしろそこが拠り所になるというか…。批評ってあるんじゃないかと思うんですが、そこが拠り所になるというか……。

藤田 そうそう。最終的には自分自身が今新しいと思えているかどうかというのが大切なのかな、と。演劇作品は一度上演してしまうと、観客にとってはそれが完成されたものなので、それはそれで結果ではあるのだけど。でも完成した途端に、それが出来上がった瞬間のリズムとかグルーブはもう、次のクリエイションでは味わえないんだろうなあ、とか。あの言葉はもう二度とつかえないよなあ、とかは誰かに言われたからではなくて、自問自答のレベルで考えますね。

 その瞬間性みたいなことをすごいやってますよね。

藤田 いつもその趣向を変えていかなきゃいけない意識も自分自身の中にしかないです。

 今演劇をやっていて、参考にしているもの、例えば昔の演劇とか現代的なアーティストとかでもいいんですが、そういうのを参照したりしますか? 

藤田 僕は、他の人の演劇からはあんまり影響を受けないんですよね。演劇から何か影響を受けたい/学びたい時は、むしろその気になる作品を演出してみる、というモードの時はあるにせよ、観にいって影響を受けたことはほとんどないです。でもやっぱり今の自分にはない観点を常に自分の作品に持ち込んでいかなきゃ、作品はあっという間に古びていくし保てない、という自意識というか不安は常にあって。僕の場合、とにかく他ジャンルの人たちと日常的に話しをしていくというのが、その“参照”に当たるかもしれないです。例えば、ファッションというものを日頃考えている方々とお仕事をする機会が多いのだけど、話していて面白いと思うのは、作品としての服というディティールの話しに留まらず、どうやってその出来上がったお洋服をお店で売っていこうだとか、それがどう今後のブランディングに繋がるか、みたいな表で見ている煌びやかさよりもだいぶ現実的な話しを地味にしていたりするんです。みんな、必死に。そのときに、勉強になるんですよね。ダイレクトメール一つとっても、その紙をどうデザインしたかはもちろん、そこに書かれているファッションデザイナーの言葉って、演劇よりもかなり細かくその世界観を捉えていたり。

 自分たちを深めるためにってこと?

藤田 僕の作品のために集まったみんながこの先も食べていくために、っていうのもあるかもしれないです。演劇は、このままだと“営み”として続けていけないのではないかと危惧しているのもありますね。だから、演劇界の中でだけで演劇を考えるのではなくて、その外で“営み”を持っている人たちからいろんな話しを聞いていたほうが、結果的には演劇の勉強になるというか。なんだかリアルな話しになっちゃったけど……ファッションでいえば、最近はパターンという分野の人たちが面白いと思ってますね。パタンナーという職種の人たちって、全部図面にしちゃうんです。人と話してもこの人はこういう肩だからこう引いた方がいいなって、ずっと観察しているらしくて。それを聞いた時に「めっちゃ気持ち悪(笑)」って思って。目の前に座っていただけなのに、今まで何回解剖されていたんだろうって。

 立体的なものを全部平面にできるんでしょうね。

藤田 でも今話したことって、お二人にもちょっと思ってしまうんですよね。ON THE SAME HOTELに足を踏みいれたときに、またはそこを回遊していたときに、なんだか裸にされてる感じがあって。住む、とか泊まる、というのは、人の動向とか挙動とかを平面にも立体にも、とにかく図面化して計算することでもありますよね。それが、怖くて。

 確かに人の心をコントロールするじゃないですけど、割とここで寝てほしくなるようにとか思って作ったりします。他意はなく作るんですけど、単純にここは気持ちいいだろうって。それって相手からしたら寝かせられてる感じになるかもしれない。でもそれはかなり敏感な人しかそう思わないはずで、藤田さんかなり敏感なんで。

藤田 不安といえば不安だったんですよ。ホテルにお邪魔するというのが。

 そうなんですか。それはどういう意味で?

藤田 もしすごくエッジが効きすぎていたらどうしようというか……エッジが効きすぎてるホテルってあるじゃないですか? こ、このお風呂ってどう入るの……とか、トイレがやけに低くて、広い……みたいな。おしゃれじゃないことも大切だと思うんですよ、人って。

 そういう意味で言うと、僕はエッジが効かせられないし、ちょっと揺れていたり、ちょっと穴が空いているくらいの方が安心する。

藤田 かっこ悪いところがあるという意味では全然ないんです。でもほんとによい意味で、ホッとしたというか、おしゃれが押し寄せて打ちのめされたりしなかったんです、ON THE SAME HOTELは。なんだろう、バランスがちょうどよかったんですよ。押しつけがましいところが一つもなかった。素材感もそうだし、演出は確実に施されているんだけど、それを感じさせないというか。むしろそれを、もっと外から演出されているというか。

睦子 おしゃれの引き算と同じ感覚。

おきなわいちばVol.75 G-KEN撮影

 でもそれでいうと、藤田さんが作っているもののかっこよさは割とかっこよすぎるって思いますよ(笑)。藤田さんが何かのインタビューで「一度、すべてを足していって、最後にそぎ落とすともうひと回り面白くなる」っていうようなことを言っていて。めちゃくちゃ共感しました。

藤田 一回すべて詰め込んでみないと分からなくなってくるんですよね。一度あるものを全部出してみる時間が必要というか。昨日は10ページあった台本が、翌日いきなり2ページになったりとか。役者は大変だろうとわかっているんだけど、その作業をやっちゃうんですよね。

 なんででしょうね。詰め込む作業をやる前と後で結果的には同じかもしれないけど、一度それをやると全然違うものに見えるんですよね。「じゃあ最初のヤツで良かったやん!」とも思うけど、やっぱり最初のものとは明らかに違う。

藤田 全然違うし、引き算しても引き算をしたという感覚ではないですよね。実際に観客に見えているものは結果としてそれでしかなくても、役者の身体には削っても、ただ削られるんじゃなくて、残っていますしね。削った言葉が。その引き算の作業をやることで役者のバックボーンや作品の強度が、むしろ全然増しているんですよね。言葉だけじゃなくてディテールとかも。

睦子 なんかすごい建築の話をされているみたい。

 そのうち藤田さん、建築やってますね、きっと。

藤田 今の話を聞いていて、本当に一緒に作りたくなってきています(笑)。

鮫島拓(さめじまひらく)、睦子(むつこ)

那覇市松尾でON THE SAME HOTELを営む。夫婦ともに一級建築士。拓さんは兵庫県神戸市出身。大学院でインドの都市計画を論文のテーマにし、植民都市やアジアの都市計画などを研究。現在は設計事務所勤務。睦子さんは那覇市出身。現在は個人で一級建築士事務所を主宰。

ON THE SAME HOTEL
沖縄県那覇市松尾2-19-28